今年も大きな盛り上がりを生んだ年始の箱根駅伝。優勝争いとは違ったところでファンの注目を集めたのが、関東学生連合チームの8区を担った秋吉拓真だ。いわずとしれた日本最難関の大学である東大所属ながら、一時は通過タイムでトップを走るなど、鮮烈な印象を残した。そんな秋吉が夢の舞台に至るまでには、どんな紆余曲折があったのだろうか。《NumberWebインタビュー全2回の1回目/つづきを読む》
東京大学の理科Ⅰ類で機械情報工学を学ぶ秋吉拓真は、「箱根駅伝ランナー」となった。
強豪校のように合宿所に住んでいるわけではない。2年生まで、秋吉は下宿先の井の頭線・三鷹台駅から東大駒場キャンパスまで、およそ10kmを走って通学していた。
そして大学3年を迎えた昨年、赤門のある本郷キャンパスでの授業が増えるため、秋吉は引っ越しをした。現在は、食事も栄養を考えながらの自炊がメインだ。
「国技館のある両国です」
やっぱり、ジョギング通学? と質問すると、
「ハイ(笑)。だいたい片道で5kmくらいです。それに隅田川沿いは信号がなく、継続して走れるのがいいですね。国技館を見ながら、というのもなにか非日常的で楽しいですし」
秋吉は、1500m、5000m、1万m、ハーフマラソンの4種目で東大記録を持つ。2024年度の最大の目標は「箱根駅伝を走ること」だった。
「3年生になってからも練習は順調で、力はついてきているという自覚はありました。ところが、その成果をトラックのタイムで表現できなくて。状態がいいのにタイムが出ないつらさはありました。ただ、前回はなかった学生連合チームが今回は編成されることが決まり、箱根駅伝を走ることが大きなモチベーションになりました」
10月19日の予選会を前に、「東大から2人の箱根ランナーが誕生するのでは?」という期待が高まっていた。秋吉と、博士課程4年生の古川大晃である。
「レース前、古川さんと『日本人の先頭集団についていく』というプランでいこうと話していました。ただし、あの日は気温が高くて……。危険な暑さでした。それなのに古川さんは、いきなり突っ込んでいったのでびっくりしました(笑)。でも、ここしばらく古川さんには負けていなかったので、正直、後半に追いつけるだろうと考えていました」
予選会は消耗戦となった。各校のエース級の選手は集団走には参加せずにフリーで走ることが多いが、自由に走った選手ほど脱水症状で苦しみ、中には途中棄権せざるを得ない選手もいた。秋吉の体内からも危険信号が発せられていた。
「後半の昭和記念公園に入ってからは、『これは危ない』と感じるほどの暑さでした。おそらく、暑さを考慮して給水ポイントが増えていたと思うんですが、それがなかったら、脱水症状に陥っていた可能性は高かったと思います」
なんとかフィニッシュまでたどり着くと、タイムは1時間05分30秒、全体で77位だった。古川は1時間05分17秒で先着していた。レース後、関東学生連合チームに参加するメンバーが発表されたが、秋吉はそのなかで「11番目」だった。予選会での上位10人が本選を走った前回チームの例にならうなら、落選である。
「自分自身、通過して当たり前だと思っていました。それが11位で……。本当に情けなかったです」
ただ、学生連合チームの編成方針は、担当する指導者によって変わる。
予選会のタイム1番目から10番目までで本選を走る選手が即時決定の場合もあれば、年によっては11月のトラックでの記録を参考にすることもある。
「ここしばらくは予選会の順位が優先されていたので、気持ちを切り替えてトラックに集中しようと思っていたところに、選考方針がPDFで送られてきました」
今回、学生連合の監督を務めたのは、東京農業大学の小指徹監督だったが、例年とは違い予選会を含む3本のレースをもとに選考する方針を打ち出した。その3本とは、
・箱根駅伝予選会 ・11月16日開催の関東学連主催の1万m記録挑戦会 ・12月上旬に行う合宿での16km走
だった。
「予選会と記録挑戦会は、学生連合チーム内の順位をそのままポイントとして計算する、とありました。山区間の2人は別選考だったので、その2人を除くと予選会で僕は9番目でしたから、9ポイント。記録挑戦会も同様に順位付けされて、最終的にはポイントの少ない順番に8人が本選の平地区間を走ることになりました」
秋吉に訪れたセカンドチャンスだった。
ただし、秋吉は予選会で完全に自信を喪失していた。しかも10月末にロード用のシューズからスパイクに履き替えたところ、脚部に筋肉痛が出た。
このままでは望むような結果が得られないと判断した秋吉は、1万m記録挑戦会の1週間前、11月9日に行われる日体大記録会の5000mに出場し、「足慣らし」をすることに決めた。
「日体大で13分50秒09の自己ベストをなんとか出せました。これで自信を取り戻せたのが大きかったと思います」
そしていよいよ選考がかかった1万m記録挑戦会。秋吉はここで28分52秒31をたたき出し、全体でトップとなった。
予選会が9ポイント、記録挑戦会が1ポイント。合計10ポイントとなり、秋吉は「当選圏内」に入ってきた。
「この結果は安心材料にはなりましたが、最後の16kmのタイムトライアルは、基準タイムが設けられていて、その基準の48分30秒を切った選手全員に『1ポイント』という仕組みになっていました。
基準タイムをクリアすれば本選で走れるわけですが、もしも、15人がクリアして自分だけが切れなかったら、16ポイントがどーんと来て、走れなくなる可能性もあるわけです。不安もあったので、箱根で走った経験を持つ近藤(秀一)コーチと古川さんと一緒に、1週間前に千葉の富津にコースの下見に行ったんです」
なんという執念だろうか。この好機を絶対に逃してはならないという意気込みがハンパない。
「下見では、1km3分ペースで走ってみることになったんですが、10kmで30分30秒もかかってしまい、『これはまずい』と焦りました。ただ、これがいい勉強になって本番では序盤にそれなりに突っ込んで貯金を作り、後半粘っていくという戦略を立てることが出来たんです」
1泊2日の合宿、2日目にタイムトライアルが行われた。集団走ではなく、一定の間隔を置いて選手たちがスタートする単独走である。秋吉は最初の5kmを14分28秒で入った。
「14分半を切るペースでしたが、余裕がありました。これで精神的に楽になり『あ、これは大丈夫だ』と確信しました」
記録は47分37秒。基準タイムをクリアしたので1ポイントだけの加算となり、合計で13ポイント。めでたく秋吉は10人のメンバーに入った。
「本当にホッとしました。そのあと、監督から呼ばれまして、僕が8区で、古川さんが9区を担当することが決まりました」
ここに、東大の学部生と大学院生のたすきリレーが実現することになったのである。
<次回へつづく>
2025-02-04T02:12:02Z