チャンスに飢えていた「元ソフトバンク」の選手たちが新天地で躍動している。
昨年12月に初めて行われた現役ドラフトで阪神に移籍した大竹耕太郎は5月13日、悪天候の甲子園球場で行われたDeNA戦に先発し6回4安打1失点で勝利投手となり、その時点で両リーグ最多の5勝目を挙げた。開幕からの5戦5勝は、長い阪神球団の歴史の中で3人目の快挙だった。
「絶対に勝ちたいという気持ちでした。雨はしょうがない。割り切って、逆に元気が出るくらいの気持ちでいきました」
雨にも負けず、堂々たるマウンドさばき。まさしくこれが本来の大竹の姿であり、持ち味でもある。
さらに同20日の広島戦(甲子園)は勝ち負けつかず連続白星こそ途切れたが、7回無失点の立派な投球。チームは1x-0のサヨナラ勝利を決めた。わずかに規定投球回に届いていないものの防御率は驚異の0.48とした。
ソフトバンクには17年育成ドラフト4位で早稲田大学から入団。1年目途中に支配下登録されると翌年も先発ローテも担い最初の2年間で8勝をマークした。その頃もやはりマウンドでは堂々とした立ち振る舞いだった。
しかし、3年目以降は大半がファーム暮らし。20年は二軍のウエスタンで最多勝、防御率1位、最高勝率の「投手三冠」。21年も同リーグ2位で8勝したが、それでも一軍が遠かったのはソフトバンク先発陣の層の厚さに阻まれたともいえるし、パ・リーグの“パワー系の野球”に合致しなかったことも理由だったと思われる。近年は150キロ台中盤を投げる投手も珍しくない中、大竹のストレートは140キロそこそこ。緩急やコースの出し入れを武器とするスタイルはパ・リーグでは評価されにくかった。
それでも二軍の好結果からローテの谷間で時々一軍先発機会を得た。だが、一発勝負の重圧が本来の良さを邪魔した。
結果を求めすぎることで、人間は慎重になる。余計な力も入る。自慢の制球力が乱れ、失点につながる。そして翌日には二軍落ち。そんな憂き目が何度もあった。
ただ、大竹自身はニーズに応える努力を常に行っていた。22年シーズン前の自主トレでは先輩の和田毅に弟子入りして肉体改造も行い、球速アップも図った。だが、スピードは一朝一夕で上がるものではない。
現役ドラフトで阪神に移りセ・リーグの野球が肌に合ったのも活躍の一因だろうし、肉体改造の成果もここにきて現れ始めたのか直球がスピードガン表示以上に力強くなっているように映る。
今季5勝目は早大の先輩でもある岡田彰布監督に通算600勝をプレゼントする白星でもあった。「うれしいし、胴上げのために頑張りたい。次回以降も全身全霊で投げます」。大竹は「アレ(=優勝)」のための欠かせぬ柱となっている。
今季、活躍の場を変えて輝きを取り戻したといえば田中正義もそうだ。
近藤健介のFA移籍に伴う人的補償で日本ハムに移った右腕は、今や北の大地の守護神に定着している。
4月26日のオリックス戦(エスコンフィールド)でプロ初白星より先に初セーブを記録するとお立ち台で人目もはばからず号泣。その当日、ソフトバンクは地元福岡での試合が2時間22分と早々に終了したこともあり、ソフトバンクの選手たちは昨年までのチームメイトの活躍をロッカールームで見守っていたようだ。田中が泣いている中継画像をスマホで撮影して、祝福の言葉を添えてSNSにアップした選手も見受けられた。
こんな「元ソフトバンク」戦士の活躍もあった。
ロッテの茶谷健太が5月17日のオリックス戦(ZOZOマリン)でプロ入り8年目で初めて4番打者で出場。2安打2打点と“4番の働き”を見せて勝利に貢献し、お立ち台にも上がった。
茶谷は15年ドラフト4位でソフトバンクに入団。帝京三高(山梨)時代は本格派右腕のピッチャーだったが、高い身体能力を買われて内野手に。入団発表では「年間40本以上ホームランを打ちたい」と目標を口にし、球団は「背番号55」を与えてスラッガーとして期待を寄せた。ファンも「茶ゴジラ」などと呼んで応援した。
しかし、潜在能力だけですぐ通用するほどプロは甘くない。3年間で一軍出場1試合のみに終わると、球団から戦力外通告を受けて育成選手での再契約を打診された。
茶谷は熟考の末に退団を決意。結局、移籍したロッテでも当初は育成契約だったものの19年末に支配下契約を勝ちとり、それからも地道なアピールを重ねて現在に至る。
5月24日時点の成績では、28試合出場、打率.343、6打点。5月は月間打率.400をマークしている。
上記の3選手に限らず、ソフトバンクではなかなか芽が出なかったものの他球団に移籍して開花した例はいくつもあった(成績はいずれも5月25日時点)。
◆加治屋蓮(阪神)
ソフトバンク時代/7年間・112試合7勝4敗37ホールド
阪神移籍後/昨季まで2年間・46試合1勝4敗8ホールド
ソフトバンクには13年ドラフト1位でJR九州から入団。18年に72試合登板で31ホールドを挙げたが、同年以外は苦しみ20年オフに戦力外通告を受けて阪神へ移籍した。今季は17試合0勝0敗4ホールド、防御率0.00と快投している。
◆小澤怜史(ヤクルト)
ソフトバンク時代/5年間・2試合0勝0敗
ヤクルト移籍後/昨季まで2年間・10試合2勝1敗
15年ドラフト2位でソフトバンク入り。2年目に一軍登板を果たすが、4年目から育成選手に。20年オフに戦力外となり、12球団合同トライアウトを経てヤクルト(当初は育成)へ。サイドスローに転向したことで活路を見出し、22年6月に支配下登録。昨年は日本シリーズでも登板した。今季は13試合登板0勝1敗2ホールド、防御率3.48。
◆長谷川宙輝(ヤクルト)
ソフトバンク時代/3年間・一軍登板なし
ヤクルト移籍後/昨季まで3年間・48試合2勝2敗7ホールド
16年育成ドラフト2位でソフトバンク入り。育成選手のまま3年間を終え、規約で自由契約となったタイミングでヤクルトが支配下で獲得。150キロ超の直球を投げるパワー系左腕で20年には44試合に登板して1勝を挙げた。21年9月に血行障害の一種である「胸郭出口症候群」の手術を受けた。今季2年ぶりの一軍登板を果たしている。
◆立岡宗一郎(巨人)
ソフトバンク時代/4年目途中まで・1試合、打席なし
巨人移籍後/昨季まで11年間・449試合、打率.247、4本塁打、54打点、41盗塁
08年ドラフト2位で熊本・鎮西高校からソフトバンクに入団。"秋山幸二2世"との呼び声も一軍機会はほとんどなかった。4年目のシーズン途中にトレードで巨人に移籍。ソフトバンクでは"右打ちの外野手"だったが、巨人では"左打ちの内野手"としてチャンスをつかんだ時期も。15年に91試合出場、打率.304、14打点、16盗塁。その後はまた外野に専念。昨年6月9日の西武戦(ベルーナドーム)での右翼守備で、右中間への打球を追った際に左膝前十字じん帯損傷の大けがを負い、現在は育成契約から復活を目指している。
彼らのソフトバンク時代も取材してきたが、共通して言えるのはファームの苦しい時期でもひたむきに前を向き続けたこと。
プロ野球選手だって感情を持った人間だ。不貞腐れることも少なからずある。
それでもソフトバンクでは、毎年のようにこんな声かけをよく耳にする。
「誰かが見てるからな」
ソフトバンクのファームは人材の宝庫だと球界関係者のあいだで以前から言われており、実際に各球団の編成担当者を筑後のファーム施設ではよく見かける。
もちろんコーチや球団関係者らはソフトバンクでの活躍を一番に願うが、選手の人生に寄り添うことを決して忘れない。今、陽の目を見ている彼らは、その一言に救われた選手たちなのだ。
2023-05-26T02:08:57Z dg43tfdfdgfd