羽生善治52歳がタイトル挑戦 藤井聡太王将の師匠・杉本昌隆八段は「同世代として気持ちを重ねてしまう瞬間はありました」

 週刊文春連載時より話題を集めた「 いまだ成らず 羽生善治の譜 」が遂に書籍化された。50歳を越えてなお棋界で存在感を示し続ける羽生九段の強さの理由を「 師匠はつらいよ 」の杉本昌隆八段と著者の鈴木忠平氏が語り尽くす。

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棋士の生きるさまを描き出したいと思った原体験とは

鈴木忠平(以下、鈴木) 「師匠はつらいよ」を読ませていただいて感じるのは、読者が知りたいことを、どうしてこんなに分かるのだろうということです。

杉本昌隆八段(以下、杉本) それはすごく嬉しいです。

鈴木 そういう視点はいつから持たれたのですか?

杉本 やはり私自身が藤井聡太八冠について取材を受けるようになってからです。昔は“7六歩は……”と符号を使いがちでしたが、今はなるべく分かりやすく伝えることを心掛けています。

鈴木 私も週刊文春で「いまだ成らず」を連載する際、棋譜のような表現は極力しないことを意識しました。

杉本 今回その「いまだ成らず」を単行本で読ませていただきました。対局室に張り付いているかのような描写が素晴らしかったです。

鈴木 ありがとうございます。私の知識は将棋を専門に取材されている観戦記者の方たちには及びません。ただ、棋士の人生観や生態にはとても魅かれていて、彼らの生きるさまを描き出したいという思いはありました。その原体験ともいえる記憶は、子供の頃にテレビで見た羽生善治さんの姿なのだと思います。

杉本 将棋の中継ですか?

鈴木 そうです。父親が画面を指さして「これが“羽生にらみ”だよ」と。人がああいう表情をすることがある、そのことにすごく驚きました。ただ、睨んでいるのかというと、どうもそうでもなさそうで。

杉本 闘志を燃やして睨むというよりも、「見つめている」ような仕草ですね。

鈴木 あんなに人を没頭させて、動きのない空間で内面の激しさが垣間見える将棋とは何だろう――そうやって盤上に生きる人たちに魅かれた気がします。

将棋において、若さは絶対的な武器

杉本 将棋は地味に思われがちでしたが、ライブ配信や取り上げるメディアが増えたことで、本当に多くの方から関心を寄せてもらえるようになりましたね。

鈴木 そういう充実した環境で、羽生さんと藤井さんがタイトルを賭けた第72期王将戦が行われました。もう何度も訊かれたと思うのですが、せっかくなのでお伺いしたいことがあります。王将戦は藤井さんが七番勝負のタイトル戦では初めて2勝2敗のタイに並ばれました。そういう展開は予想されましたか?

杉本 特に驚きませんでした。それよりも羽生九段が全6局ですべて違う戦型を選ばれた。他の棋士にはとても真似できないと思うので印象的でした。若い頃から様々な戦型を駆使されてきた羽生九段の将棋が存分に表れていたんです。

鈴木 同世代として思うところはありましたか?

杉本 「羽生世代」として羽生九段に気持ちを重ねてしまう瞬間はありました。

鈴木 やはりそうですか。

杉本 もちろん弟子に勝ってほしいんですよ。けれど、羽生九段にも万全で長く指していただきたい、そういう思いでした。

鈴木 私は取材して初めて知ったのですが、将棋において、若さとは絶対的な武器であるようですね。

杉本 残酷なほどその差は表れます。競技にもよりますが、スポーツ選手の現役の期間は30代、40代までですよね。棋士の現役寿命は長くて、一般的には60代前半だと思います。

「経験」は一度捨てるべき

鈴木 ピークはいつごろだと思いますか?

杉本 トップ棋士なら20代半ばから30代くらいだと思います。野球でも若くて勢いのある新人投手が、制球は粗くても球威でベテランバッターを押さえ込むような場面がありますよね。若さが持つ優位さというのは棋士にもあるんです。

鈴木 身体能力を駆使するスポーツだと理解できるのですが、将棋ではどこに差が現われるのでしょうか。

杉本 読む力です。年を重ねると経験則から読みを省いてしまうようになるんです。あとひとつ先まで読むと違う答えが隠れている場合があるのに、その判断を「経験」が邪魔してしまう。

鈴木 経験が、ですか。

杉本 「今までこれでよかったから、今回も大丈夫だ」と。ところが手が進んで間違いに気づく。若い頃に深かった読みが、だんだん外れていくのです。

鈴木 野球だとバッターは打席に立ち続けることで経験値が上がり、身体的衰えもカバーできる。将棋ではそうはいかないんですね。

杉本 若さが持つ閃きや感性は経験では補えず、むしろ判断を曇らせる。羽生九段も言われていますが、経験は一度捨てた方がいい。

52歳で王将戦に挑む姿が50代棋士に勇気を与えた

鈴木 経験でいうと将棋は敗北の意味がとても重いですね。対局は一方が「負けました」と宣言してようやく終わります。そういう競技はあまりありません。

杉本 お子さんはまず、そこでぶつかります。

鈴木 負けの責任はすべて自分にある。それは大人でも受け入れがたいことです。

杉本 10代、20代……と年齢でも受け入れ方は変わっていきます。私はよく物に当たっていました。「負けた日の扇子なんて使えるか!」と二つに折ったものです。奨励会時代は負けが将棋人生の終わりに繋がるので、それだけ死に物狂いでした。次の対局までに切り替えていくのですが、「頓死」という、最後の最後に大逆転負けを食らった時は暫くその記憶に苦しんだこともあります。終盤で「また頓死するんじゃないか」と。イップス状態です。

鈴木 疑心暗鬼になってしまうんですね。

杉本 でも羽生九段は過去、タイトル戦の挑戦者決定戦で頓死後に何事もなかったかのように2連勝されました。トップ棋士の方は切り替えも素晴らしいんです。

鈴木 年を重ね、若い才能と戦うことの難しさが分かるだけに、王将戦で羽生さんの奮闘に思いを込めてしまうのでしょうね。

杉本 同じ棋士としてこの表現がおかしいのは分かっているのですが、羽生九段が王将戦の挑戦者になってすごく嬉しかったんです。

鈴木 同じ世代として。

杉本 そうです。もちろん素晴らしいのは羽生九段です。でも、52歳で王将戦に挑む姿は50代棋士に勇気を与えてくれました。

(構成・児玉 也一)

〈 「なぜ藤井聡太さんに将棋を“教えなかった”のですか?」師匠に聞いてみると… 〉へ続く

(杉本 昌隆,鈴木 忠平/週刊文春 2024年6月13日号)

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