23歳富永啓生、大号泣の理由は?「英語を話せなかった荒削りなケイセイが…」涙のウラに心を通わせた恩師の存在「打てる時はとにかく打て!」

 最初の約5分間で3本の3ポイントシュート(3P)をすべて決めた際には、初登場のNCAAトーナメントは富永啓生が躍動する舞台になるかと思われた。

 序盤にリズムを掴めば、ほとんど止まらなくなる爆発力が富永の魅力の1つ。3月22日、メンフィスで行われたNCAAトーナメントの1回戦で対戦したテキサスA&M大も、試合開始直後、ネブラスカ大の背番号30の勢いに為す術ないように見えた。

 米国内では大人気の通称“マーチマッドネス(3月の狂乱)”で力を発揮すれば、評価は跳ね上がる。大学3年目にして大きく知名度を上げていたケイセイ・トミナガが、さらにビッグネームになる可能性もあった。だが、それから約2時間後――。待ちに待ったビッグステージのコートで、富永は堪えきれずに大粒の涙を流していた。

 中盤以降、力を発揮したテキサスA&M大の身体能力に対抗しきれず、ネブラスカ大は持ち味のはずのディフェンスが崩壊。21得点をマークした富永も母校を救うには至らず、83-98で完敗したチームのベンチ前でまるで子供のように泣き崩れたのだった。

真っ先に挙げたコーチの名前

「3年間やってきて、(フレッド・ホイバーグ)コーチの元でプレーするのも最後になることとか、いろんな感情がこみ上げて……」

 その時の思いを振り返り、富永は後に日本メディアの前でそう述べている。力が出せずに敗れた悔しさ、カレッジキャリアが終わったという喪失感はまだ鮮明だったが、その一方で、完全燃焼したという満足感もあったように思えた。すべてを洗い流すような涙の後、真っ先にホイバーグHCの名前を挙げたのも象徴的である。その直前、全体会見の壇上に登場した恩師もまた富永を思いやる言葉を残していた。

「英語をほとんど話せなかった粗削りなケイセイが、この3年間でボーカルリーダーになるまでに成長した。コート上では、彼のプレー自体が物語っている。ネブラスカだけでなく、この国の中でも最高級の人気選手になってくれた」

 心を通わせた師弟の3年にわたる旅は、ここでついに終わったのだ。

「“ノーマークになったら打て”と言われています。もちろんタフショットになってしまう時など、ショットセレクションのことも言われはします。チーム的にタフショットを打つことはダメですが、“打てる時はとにかく打て”と」

 富永がまだネブラスカ大で1年目を過ごしていた頃のこと。ホイバーグHCからのアドバイスは、と聞いた際、目を輝かせてそう答えたのを昨日のことのように思い出す。

粗削りな富永に与えたグリーンライト

 この年、富永のプレーにはまだ粗さが目立ち、FG成功率は37.3%、3Pも同33.0%で平均5.7得点にとどまった。強引すぎるシュートが目につき、チームにとってプラスとは言い切れない時間帯が多かったのも事実。ボールを持ったらとにかく独力でシュートまで持っていく、というプレースタイルが日本時代は物議を醸したというエピソードも耳に入っていた。正直、それも無理もない話かと思わされたことは否定しない。

 ところが、その当時から、ホイバーグHCはそんな富永にほとんど“グリーンライト”を与えていた。常に恐れずシュートを放ち、好調時はどんな場所からでも決められる。そういった富永の最大の長所を理解し、あとはショットセレクション、ボールを持たない時の動きを鍛えることに集中していた。自身もNBAでシューターとして活躍し、2018年まではシカゴ・ブルズのHCも務めたホイバーグHCは、富永の魅力を保った上で、ダイヤの原石を研ぎ澄ますことを望んだのだろう。

「ケイセイはオープンショットは常に決めてくれる選手だ。いいショットを放っても決まらないことはもちろんあるが、それでも“いつでも決めてくれる”と周囲に期待させるだけの上質なシューターなんだ」

 今でこそ富永のプレースタイルはアメリカ向きだったと誰もが自信を持って言えるが、まだ粗削りな面の方が目立った頃の話。自身のスタイルへの批判も耳に入っていたという富永にとって、NBAでも実績のある人間の強固なサポートに大きな意味があったことは容易に想像できる。

「実績ある人物に認められ、間違ってなかったと思えたのでは?」と1年生時の富永に問うと、「それはありますね」と笑い、静かにこう言葉を繋いだ。

「今までいろいろ言われたこともありましたけど、それが自分のプレースタイル。全然崩すことなくやってきた結果、ここにいられているんだと思います」

通算1000得点「“切り札”に成長してくれた」

 ネブラスカ大で腕を磨き続けた富永の2年目以降の躍進は、バスケットボールファンならすでにご存知の通りである。平均得点は5.7、13.1、15.1と1年ごとに増加し、2年目以降は断然のエースに就任。そして迎えた3年目のレギュラーシーズン最後のゲームでは、同校史上31人目の通算1000得点に到達し、そのハイペースにはホイバーグHCも舌を巻いていた。

「すごい記録だと思う。ケイセイにとって、1年目は適応のための期間だった。それが過去2年で得点の術を学び、ゴートゥガイ(=終盤の切り札)に成長してくれた。通算1000得点に到達したのはとてつもないことだ」

 何より素晴らしいのは、富永の成績アップとともに、ネブラスカ大も勝ち星を増やしていったことだ。1年目は10勝22敗だったのが、昨季は16勝16敗、今季は23勝11敗。ここで目標としていたNCAAトーナメント進出を果たし、ホイバーグHCはビッグ10カンファレンスの最優秀コーチ賞を受賞するに至った。

 快進撃はもちろん富永だけの力ではないが、その得点力なしでは絶対にあり得なかった。だとすれば、親子のように歳の離れたHCとエーススコアラーが互いに高め合った結果ともいえよう。NCAAトーナメントでの敗退後、「3年間、本当にありがとう。ネブラスカのバスケットボールを大きくしてくれてありがとう」と富永に伝えたというホイバーグHCのメッセージは正直な思いの吐露でもあったはずだ。

 こうしてカレッジキャリアは終わったが、富永の物語はまだ続いていく。今後、パリ五輪、NBAへの挑戦が続くことを考えれば、ストーリーはまだ始まったばかりという見方もできるのかもしれない。そして、これから先のバスケットボール人生を考えても、ネブラスカ大で学んだ3年間は重要な意味を持ってくる。

 様々な形での成長の後で、もうプレースタイルが批判されることはなく、真っ直ぐに未来へと邁進できる。

「いろいろ山あり谷ありって感じでしたが、最終的にこうやってNBAでも実績のあるコーチに認められて、やれたっていうのは自分の中でも自信になる。次のステージに向けてもいい影響があるんじゃないかなと思っています」

 NBAを熟知し、同時に自身を適切な方向に導いてくれた指揮官の下で得たものは、富永にとっていつまでも礎であり続けるに違いない。

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