「おかんのハンバーグが一番好き」高橋藍の母が涙ながらに明かした壮絶な子育て期「中学生になっても、新しい靴を買ってあげられなくて…」

一流アスリートの親はどう“天才”を育てたのか――NumberWeb特集『アスリート親子論』では、さまざまな競技で活躍するアスリートの原点に迫った記事を配信中。本稿では、バレーボール日本代表・高橋藍(22歳)の母・小百合さんのインタビューをお届けします。涙ながらに語った、知られざる苦労とは?〈全2回の後編〉

『七年後の東京オリンピックに出る』

 息子が書いた卒業文集に、高橋藍の母・小百合さんは二度も驚かされた。

 一度目は藍が小学校を卒業する時。

「わー、こんなすごいことを書いている」と素直に驚いた。

『ニッポンチャチャチャ』の書き出しから始まった文章は、『目をあけると、東京オリンピック、バレーボールの会場にいる。周りはすごく盛り上がっている』と続き、まるで実際の未来を映し出すように書かれている。

 そして、二度目は2021年。テレビに映る東京五輪のコートに立つ息子の姿を見た時だ。

「私は自信がない子どもやったんです。だから、夢が叶うなんて考えたこともなかった。でも藍は卒業文集に書いた夢を本当に叶えた。直接会場で見ることはできませんでしたけど、ほんまにオリンピックに出たんや、と思うと衝撃でした」

「藍をやっと見つけてくれた」

 夢が現実に近づくきっかけは、2020年1月の春高だ。東山高は失セットゼロという圧倒的な強さで初優勝を遂げている。その立役者となった藍は、攻守両面、特に守備力を高く評価され、翌2月に発表された日本代表登録選手27名に名を連ねた。U18やU20などアンダーカテゴリー日本代表すら経験したことがない18歳の大抜擢だった。

 突如、巡って来たチャンスに藍は胸躍らせ、小百合さんも喜んだ。

「どこまでできるか未知の世界やったんですけど、今までチャンスがなかっただけで、私は『できる』って信じていたんです。今までは誰も見つけてくれへんかったけど、やっと見つけてくれた。絶対に藍ならできる、と思っていました」

 初の国際大会は、東京五輪の1年延期を経た2021年5月。五輪会場となる有明アリーナで開催された中国との親善試合。藍はスタメンで出場した。

「たっちゃん(大塚達宣)と対角で出てきた時は……びっくりしました。できひんとは思わなかったですけど、いきなりスタメンとはさすがに思っていませんでしたから(笑)」

 五輪のテストマッチを兼ねた親善試合とはいえ、前哨戦となるネーションズリーグを前にほぼぶっつけの代表デビュー戦。序盤は硬さも見られた。ブロックを利用した巧みなスパイクは藍の武器ではあるが、想像以上の高さを誇る中国のブロックに続けて屈する場面があった。

 そこで一度、藍に代わって福澤達哉がコートへ入った。小百合さんは泣きそうだったとこのシーンを回顧する。

「交代した時に、もう藍は外されるんかなと思ったんです。でも冷静に福澤さんのプレーを外から見て、ひと呼吸置いてからまた出てきた。その時に藍をポンポン、と叩いて出た福澤さんの姿がお父さんみたいで……。家族が力になれないところで、お父さんみたいに藍を助けてくれて、ほんまにありがとうって心から思ったことを今でもはっきり覚えています。だからオリンピック本番に福澤さんと立てないことが、本当につらかったし苦しかった。今でも、ありがとうございますの思いしかないんです」

「うちの子、オリンピック選手になるんや」

 東京五輪に出場するメンバーが決定したのは、有明での親善試合から1カ月半後の6月21日。イタリアで開催するネーションズリーグに出場していた藍から、すぐに連絡が来た。

「うちの子、オリンピック選手になるんや、って。周りの方からは(五輪が)1年延びてチャンスが来た、と言われましたけど、1年前でも同じ。藍ならできたって私は思っていたし、藍にはオリンピック選手として活躍する力があったと自信を持って言いたいです」

 最年少で出場した東京五輪を終えた後、新たな転機を迎える。イタリア・セリエAのパドヴァからオファーを受けた。藍は日体大に在籍しながら渡欧することを決めた。

 大学入学時には考えもしなかった選択だったが、母としては「行きたい」という息子を後押しするのみ。渡欧直後は、毎日のようにテレビ電話で些細なことを報告し合うのが母と息子の日常となった。

「私が夕飯をつくる頃に藍がちょうど昼食をつくっているので、お互い料理をしながら、今日はこんなことがあったと聞くのが楽しくて。大学で初めて親元を離れてからも、私は心配だからしょっちゅう連絡していたんです。でもその時は“了解”ぐらいしか返ってこなかったんですけど、離れて、藍も最初は不安だったんでしょうね。毎日連絡をくれて嬉しかった。最近はすっかり慣れてきたからだんだん回数が減って、ちょっと寂しいんですよ(笑)」

 渡欧して3年。小百合さんは毎シーズン、機会をつくってイタリアを訪れている。ホテルはとらず、実家にいる時と同じように現地の自宅で過ごす。練習に向かう藍を見送り、洗濯や料理をして、試合はもちろん、時間があれば練習にも足を運ぶ。

 バレーボールに関してはほぼ口出しせず「頑張れ」と送り出すのみだが、遠征が続く日本代表と海外生活と慌ただしい日々を過ごすからこそ、「できることはしてあげたい」と母の顔を覗かせる。

「藍の好物はハンバーグと中華丼。麻婆豆腐も好きですね。あとは大根の葉っぱをごま油とジャコで炒めて食べるのが好きなので、帰省したら絶対につくります。本当はイタリアでもつくってあげたいんですけど、大根の葉っぱはさすがに手に入れられないですからね」

「おかんのハンバーグが一番好き」

 兄の塁、藍の3歳下の妹・莉々(りり)さんの3兄妹。食べ盛りが3人もいれば食費はかさむ。経済的に余裕がなかった当時を思い出し、小百合さんは涙を浮かべる。

「藍が中学2年になる頃まで、塁のおさがりばかりで……新しい靴も買ってあげられなかったんです」

 それでも、藍から「買ってほしい」とねだられたことは一度もない。むしろ「これがあるからええやん」と自ら兄のおさがりを喜んで履いた。食費を節約するために工夫を凝らした“かさまし料理”も「おいしい、おいしい」と頬張った。母にとって、その姿を見るのが何より幸せだった。

「ハンバーグも豆腐たっぷりやし、鶏のから揚げをつくる時も、鶏むね肉と同じぐらいの大きさに切ったジャガイモも入れるんです。同じタレにつけて味付けをして揚げるから、お肉の量は半分だけど、お腹いっぱいになるまで食べられる。塁は子どもの頃に食べられないものが多くて、給食を食べるのもひと苦労だったんですけど、藍は好き嫌いなく何でも食べるから『塁の分も給食、食べてきてな』って言うと『任しとき!』って。

 今でもたまに、藍が取材で『おかんのハンバーグが一番好き』と言ってくれているのを見ると、それだけで10年寿命が延びたと思うし、ありがとう、って。もっとああしてあげたかった、こうしてあげたかったって後悔ばかりですけど、その言葉だけで子育て成功だったって思えるんですよ」

 夏になれば、パリ五輪が開幕する。東京では叶わなかったが、パリには家族や友人と応援に行く予定を立てている。

「家で接している藍と、コートにいる藍は別人格じゃないですか。東京オリンピックもこの目で見られていないので、まだ実感がないんです。プレーのことはわからないですけど、とにかく、全力で応援するし、私が言えるのは『できる』『大丈夫』。親としてできることなんて、それだけですよね」

 願うのは、メダルや栄誉よりも、ケガなく好きなように、選手生活を楽しく続けられること。

「やりたいようにやってくれればいいんです。それこそまだだいぶ先でしょうけど、結婚相手だって、どんな人を連れて来たって構わない(笑)。いろんな道を切り拓いて、今までやったことがないことをどんどんやってほしいし、周りからどう評価されようと、藍も塁も、好きなように好きなバレーボールをやってほしい。家族は一生味方ですから」

 軽やかに跳び、鮮やかに打つ。日本のみならず、世界が注目する高橋藍の原動力は、いかなる時も「できる」と信じる母の応援。そして、愛と豆腐がたっぷり詰まったハンバーグだ。

(前編から続く)

2024-04-19T02:05:56Z dg43tfdfdgfd