パリ五輪「東京より強い自分で」 飛び込み女子榎本遼香さん(27)

 カタールの首都・ドーハで2月にあった世界選手権で、パリ五輪出場を決めた。帰国した直後、栃木県公館で開かれた県スポーツ協会の顕彰授与式では疲れを感じさせず、元気な姿を見せた。

地元宇都宮市の日環アリーナ栃木で練習している榎本遼香さん=2024年2月22日、同市の日環アリーナ栃木、津布楽洋一撮影

 報道陣の取材には「栃木県で応援してもらっているんだなと再認識できる場。中学生の時から、この表彰式に参加させてもらっています」と落ち着いた受け答え。一方、「いつもいたメンバーじゃなくなってくるのがちょっと寂しい」とも。アスリートが長くトップレベルにいる難しさを感じているようにも見えた。

 2021年の東京五輪は「女子シンクロ3メートル板飛び込み」で5位になり、入賞した。ただ、その後はモチベーションを維持するのに苦労した時期もあったという。

 「五輪を目指す努力は知っていたけど、終わった後に何が起こるかわからなかった」

 22年にハンガリーの首都ブダペストであった世界選手権では、個人の「3メートル板飛び込み」で目標の決勝進出を果たし、10位に入った。ただ、上位メンバーは東京五輪と様変わりしていた。「今メダルを取るような選手がパリ世代なんだ」と気持ちが折れかけた。

 23年に福岡であった世界選手権は、肩の故障などが原因で「自信がなかった」。実際、好成績を残せずに終わった。

 それでもすぐ、プールに戻った。所属する「栃木トヨタ」から言われた「もう自分のために飛んで下さい」という言葉が心に響いたのだという。

 「自分が選んだ道だからやらなきゃと思った」

 2月の世界選手権は「自分にとって最後の世界大会になるかもしれない。ダメだったら、年内のどこかの国内大会で引退」との思いでのぞんだ。

 女子の飛び込みは5回飛んで合計点で競う仕組みだ。パリの切符がかかった準決勝は、「本当に最後だと思ったからこそ、今まで練習してきた競技人生で、一番良い5本を飛ぼうと思った」。

 ここで、普段では考えられない行動に出た。自分やほかの選手の得点はもちろん、順位も全く見ずに飛び続けたのだ。「自分の演技だけに集中するため」だった。トレーナーら近くのスタッフも気づき、声をかけるのを控えた。「遼香の好きなように飛んでもらおう」との考えだったという。

 5本を飛び終え、まだ順位を知らない時、「五輪に行けないかもしれないけれど、これで終わりならいいかな」と満足した気持ちだった。「東京五輪を決めたワールドカップの時も、そんな感じだったかもしれません」

 パリの切符を得た今は、「もう一度、世界の舞台で戦えることが本当にうれしくて、とてもワクワクしています」と話し、「東京五輪の時よりも強い自分で迎えられるんじゃないかなと思っています」と自信も見せる。

 目標は決勝に勝ち残り、メダル争いをすること。個人種目では振るわなかった東京五輪。「どんなに世界大会に行っても、その悔しさは拭えなかった。やっぱり五輪に行って、あのときの自分を超えるしかない」

 2度目となる五輪は自分との勝負にもなる。(津布楽洋一)

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 えのもと・はるか 1996年生まれ。宇都宮市出身。作新学院高を経て、筑波大、同大大学院。2022年の「いちご一会とちぎ国体」で県スポーツ協会所属として、成年女子3メートル板飛び込み競技で準優勝。23年4月、栃木トヨタ自動車に入社。

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