ベテラン記者コラム 十両に転落した妙義龍と遠藤 地位と実績で積み上げた「褒賞金」を見つめ直そう

大相撲夏場所(東京・両国国技館)は12日に初日を迎える。行司の装束も衣替え。初夏の風が隅田川の川面を走る季節がやってきた。

この場所では、長く幕内の土俵をつとめた三役経験者の2力士が十両へ転落した。西十両筆頭となった妙義龍(元関脇、37)は平成30年初場所以来6年ぶり、東十両3枚目遠藤(元小結、33)は28年春場所以来8年ぶりの幕内陥落となった。だが、妙義龍は「気持ちは折れていない。自分では元気な状態で落ちると思っているので」。遠藤も即答した。「15日間闘えるスタミナはまだ十分にあると感じている」。2人から気落ちした様子はみられない。

十両は大相撲の6つある番付上の階級のうち、幕内に次ぐ上から2番目の階級。経験上、最高位の地位にかかわらず、引退会見に臨む関取の多くは現役時の一番うれしかった思い出として「新十両昇進」を挙げることが多い。一方で、幕内からの転落となると、どこかに悲哀や哀愁が漂ってしまう光と影が併存する番付でもある。

十両の正式呼称は「十枚目」。いまでも館内で配られる取組表や十両優勝の表彰式では「十枚目」が使われている。江戸時代にはこの地位は存在せず、幕末から明治初期に幕下の上位十枚目までの力士に年十両の給金を与え、幕内力士と同様に関取としての待遇を与えたことが語源とされている。明治21年1月場所の番付から幕下上位10枚目までが太字で記され、22年5月場所から「前頭」と記載。十枚目と幕下との地位の差が明確にされた。当時の定員は東西に文字通り10人ずつの計20人。現在は東西14人ずつとなっている。

十両になると「関取」の称号を得て、ちょんまげから象徴となる大銀杏(おおいちょう)を結う。締め込みも黒の木綿から繻子(しゅす、絹)となり、稽古まわしは白色に。化粧まわし、明け荷、紋付羽織はかまが許され、付け人がついて身の回りの世話もしてくれる。なにより、無給から月給(110万円)が支給され、一人前の力士と周知される。

さらに、現実は奥深い。大相撲の全力士には給料とは別に場所毎ごとに支払われる「持ち給金」という独特の褒賞金制度がある。しこ名が番付(通常序ノ口)に載ると3円が与えられ、幕下以下3円、十両40円、幕内60円、大関100円、横綱150円が最低支給標準額とされる。

本場所で勝ち越すと8勝7敗なら勝ち越し1点につき50銭(0・5円)が加算され、10勝5敗なら勝ち越し5点で2円50銭が増える。負け越しや休場しても減額はなく、現役を引退するまで積み上がる。勝ち越しが「給金相撲」「給金を直す」と表現されるのはこのためだ。報奨金には幕内の場合、平幕が横綱を倒す「金星」や「優勝」「全勝優勝」にも特別加算がある。

そして、現実は厳しい。持ち給金は十両に昇進すると場所毎後、現在は4000倍した金額に化けて支給される。つまり、幕下以下の力士はこの褒賞金を受け取ることができない。優勝45度の元横綱白鵬(現宮城野親方)は序ノ口で番付に載った平成13年夏場所から、最後の相撲を取った令和3年名古屋場所までの20年間、積み上げた持ち給金は史上最高の2200円前後(推定)に。月給の3倍近い約880万円にも上っていた計算になる。

褒賞金は一朝一夕にできるものではない。長く関取の座を維持し、地位と実績、流した汗と節制に裏打ちされた努力の結晶といえるだろう。幕内在位71場所の妙義龍、62場所の遠藤は3月の春場所開始時点で報奨金の幕内10傑にいた。その自負によって立ち、もうひと花、ふた花咲かせよう。(奥村展也)

2024-05-09T08:07:26Z dg43tfdfdgfd