元女子バレー日本代表「木村沙織」ずっと夢だったカフェは「やりきった」 家族が増えて挑戦したい“次のステージ”

 高校2年生で女子バレーボールの日本代表に選出され、史上初の4大会連続で五輪に出場するなど絶対的なエースとして活躍した木村沙織さん(37)。2012年のロンドン五輪では28年ぶりの銅メダル獲得に大きく貢献した。【前編】では36歳で出産する前に経験した“妊活”について語ってもらったが、【後編】では当時の歴史的偉業を振り返ってもらうとともに、10代からスター選手として注目され続けたバレーボール人生、カフェ経営など今後の夢について語ってくれた。

※【前編】<「木村沙織」35歳で長男を妊娠するまでに起きた“予想外のアクシデント” あまりの激痛に「意識が飛べばいいのに…」>より続く

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――木村さんが日本代表で初のスタメン出場を飾ったのが、2004年のアテネ五輪最終予選でした。このときの活躍で「スーパー女子高生」と注目度が一気に上がりましたね。

 スーパー女子高生! 懐かしいなあ(笑)。私は周りを気にしない性格なので、注目されているという意識は全然なかったですね。ただバレーボールを好きでやっていて、日本代表に選んでもらって練習をして、試合を頑張って、みんなで目標を達成したいという思いだけでした。高校も普通に通っていました。帰ってテレビのニュースで取り上げられている映像を見ることもあったけど、次の試合の準備があるし、目の前のことに一生懸命でした。ありがたい環境でやらせてもらったと感じたのは引退後ですね。メディアに取り上げていただいてバレーの会場がお客さんでいっぱいになって、たくさんの人に応援してもらって幸せだったんだなあって。

■ロンドン五輪で「死闘」となった中国戦

――ロンドン五輪の準々決勝・中国戦はフルセットですべて2点差の死闘でした。木村さんは引退会見の際に最も印象に残る試合として挙げていました。

 当時の眞鍋(政義)監督が大会前から、「中国と準々決勝で当たる」と言い続けていたんですよ。実際は準々決勝前のくじ引きで対戦相手が決まるので分からないんですけど、「準々決勝で中国と当たる。中国を倒さないとメダルを取れない」って選手たちがイメージを共有していました。当時は、ロンドン五輪前の世界選手権で銅メダルを取ったり、ワールドグランプリでブラジルに勝ったり、それまで歯が立たなかった強豪国に勝ったことも、自信につながっていました。それまでは取材で「五輪でメダルを取れるように頑張ります」と言いながら、正直、「無理だよな、今は。世界で通用していないよ」と感じることもありましたが、あのときは「絶対にメダルを取る」という思いがチーム全員にありました。

――中国戦で木村さんは33得点をマークし、過去の五輪で1セットも取ったことがない中国を撃破しました。

 小学校2年生でバレーを始めてから、あんな試合は経験したことがなかったですね。ゾーンに入っている感じだったのかなあ。「自分にボールを集めてこい」と思っていました。全セットが2点差でどちらに傾いてもおかしくない試合。メンバーが一人でもひるんだら一気にガタガタくるんですけど、誰の目を見ても力強かったし、全員が塊になってすごかった。みんなの気持ちが一つになって大きなパワーになっていました。日本の強みはチームワークで、まとまるとすごい力を発揮する。本当に楽しかったですね、あのチームは。

■指導者としての未来は?

――3位決定戦で韓国にストレート勝ちし、銅メダルを獲得しました。

 ホッとしましたね。韓国にはOQT(五輪世界最終予選)で負けていて、何度も試合をしていたので、選手たちの名前、プレー、戦術などお互いに手の内を全部知り尽くしていました。でも、あのときは絶対に勝つだろうなという確信みたいなものがありました。中国戦を乗り越えて勝ったから、どこが相手でも負けないと中国戦よりリラックスしていました。あっ、今思い出したんですけど、あの試合の前日に男子サッカーを応援していたら、3位決定戦で韓国に負けてしまったんですよね。嫌な予感? それは全然考えなかったです(笑)。

――将来は、指導者としてコートに戻ってきたい思いはありますか。

 考えたことがないなあ。私はバレーボールをするのが好きだけど、説明するのが下手なので(笑)。だから解説もできません。でも、昨年に「全日本バレーボール小学生大会アンバサダー」に就任させていただき、小学生の試合を間近で見たときはすごく感動しました。試合後に勝ったチームの選手たち、負けたチームの選手たち、親御さんがみんな泣いていたんです。一生懸命にバレーに取り組んで、周りの方々もサポートしているので、その思いがあふれ出ていました。バレーをやっていたので選手の気持ちが分かるし、子どもの親という立場でも理解できるので、その光景を見て鳥肌が立ちました。スポーツっていいなあって。子どもたちと一緒にバレーボールをするのは楽しそうだなあと思っています。

――時代が移り変わり、スポーツの指導方法も変わってきています。子どもたちを怒鳴る指導が問題視されることもありますが、どう感じますか?

 バレーに限らず、スポーツや習い事って楽しいから続くと思うんです。自分の成長が楽しくて次にいこうと思える。でも理不尽に怒られるとその可能性が失われてしまいます。私は怒られてもあまり気にしないタイプでしたが、怒られると手が震えてサーブが入らなくなる友達を見てきました。状況にもよると思いますが、怒鳴られ続けると萎縮してしまいます。子どもたちの長所を伸ばすような接し方をしたいですね。

■頑張っている人のサポートをしたい

――今後やりたいこと、夢はありますか。

 ありがたいことに、バレーを引退してからいろんな仕事をさせていただきました。今は自分のやりたいことってあまり浮かばないんですよね。カフェをやりたい夢を大阪でかなえられましたので、今は息子だったり、頑張っている人のサポートをしたい気持ちが強いかな。バレーボール女子日本代表をサポートする「アントラージュ」の活動がありますし、少しでも役に立てたらうれしいですね。

――19年から23年まで大阪でカフェ「SUNNY Thirty Two Club」を開いていましたが、出産後は子育てとの両立は大変ではなかったですか。

 つわりがなかったので出産前日までお店で働いていたのですが、産んでからはすぐに出られないのでお店を1カ月閉めました。その後に旦那さんが1人でお店を切り盛りして、私は子どもの寝ている時間にお菓子の仕込みをしていましたが、今振り返るとハードでしたね(笑)。出産前はコロナの期間があって、お酒を扱えなくなり、お店を何カ月か閉めなきゃいけなくなりました。その時期も大変でしたね。家賃を払い続けないといけないし、いろいろと苦労もしたけれど、お店でできた人間関係はありがたかったですし、久々に顔を見せてくれた人と楽しい時間を過ごしたり、幸せなこともたくさんありました。

――もう一度カフェを開きたい思いはありますか。

 子育ての関係で関東に引っ越して環境が変わったのですが、カフェに関しては大阪で「やりきった」という思いもあります。ただ、子どもが大きくなって、またきっかけがあったら、やりたい気持ちは頭の片隅にあります。都心じゃなくて足を延ばして来てくれるような場所で、コーヒーとお菓子をメインにしたお店を開きたいですね。

(聞き手/構成 平尾類)

●木村沙織(きむら・さおり)/1986年8月19日生まれ。東京都出身。小2からバレーボールを始め、成徳学園中学で全日本中学校バレーボール選手権大会優勝。成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)に進学すると、2003年(高2)の春高バレーで大会連覇に貢献する。同年に日本代表に選出され、04年のアテネ五輪に出場。東レ時代はエースとして活躍し、12~14年は世界最高峰のトルコのクラブでプレーした。女子バレーボールで史上初の4大会連続五輪出場。12年のロンドン五輪で28年ぶりの銅メダル獲得の立役者になった。16年に元バレーボール選手の日高裕次郎さんと結婚し、昨年2月に長男・煌太郎くんを出産した。

2024-05-07T02:37:16Z dg43tfdfdgfd