全米でも速報された23歳日本人ボクサーの訃報…穴口一輝の激闘から何を学ぶべきか「ボクシングには罪の意識を覚える試合が存在する」―2024上半期読まれた記事

2023ー24年の期間内(対象:2023年12月~2024年4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。格闘技・ボクシング部門の第4位は、こちら!(初公開日 2024年2月6日/肩書などはすべて当時)。

 誰もがその可能性を恐れ、同時に覚悟もしていたニュースが2月2日に届いた。

 昨年12月26日、有明アリーナで行われた日本バンタム級タイトル戦で堤聖也(角海老宝石)と激闘を演じ、判定で敗れ、以降は意識不明状態を続けていた穴口一輝(真正)が逝去。その悲報は瞬く間に業界内外を駆け巡った。

「Boxer Kazuki Anaguchi dies Friday at 23 from injuries sustained in Dec 26 fight, according to Japan Boxing Commission」

 直後、ESPN.comのAppでもそんな短信の速報が届いたことが、この件のインパクトが日本に止まらなかったことを物語る。 

 当日の試合はESPN+が早朝、深夜の時間帯ながら全米生配信。世界的に評価されるボクサーとなった井上尚弥(大橋)の最新試合のセミファイナルだったこと、堤対穴口戦はどの国のファンをも沸かせる激しい内容の戦いだったこと、“Anaguchi”と“Tsutsumi”がしばらくXでトレンド入りしたほど話題になったこともあり、欧米の衝撃も小さくなかった。

「試合が終わってからずっと苦しむことなく、穏やかな顔をしたままでした。良く頑張ってくれた。本当に天国で安らかに休んで、見守ってほしいと思っています」

 日本メディアを通じて伝わってきた山下正人会長の「苦しまなかった」という言葉が微かな慰めにはなるが、残されたものの悲しみを考えれば大きな救いにはならない。この試合にかかわった人々はもちろん、ボクシングを愛するすべての者の痛みが薄れることはない。リング禍が起こったあと、しばらくは業界全体が喪に服したような状態で日々を過ごすことになるのだ。

 こういったリング事故の後はストップのタイミングなどを材料にいわゆる“犯人探し”が始まるものだが、すでに散々語られている通り、堤対穴口戦は止めるのが極めて難しい内容の戦いだった。穴口が4度のダウンを喫した上での0-3判定負け。スキルに恵まれた挑戦者も持ち味は発揮しており、ダウンした以外のほとんどの時間帯は優勢に思えたほどだった。ダウンを喫した後も穴口の反撃のパンチには勢いがあり、少なくとも試合中には“悪い兆候”は見て取れなかった。

 終了のゴング直後、リング上で両選手が健闘を称え合う姿は爽やかでもあった。穴口から最も近い位置にいたレフェリー、セコンドの現在の心中は察して余りあるが、「止めるタイミングを見つけるのは難しかった」という大方の意見に筆者も同意したい。

 ただ……たとえそうだとしても、事故は起きてしまったわけだから、試合前後、試合中のすべての流れを振り返り、検証する作業は必要なのだろう。関係者に明白な落ち度がなかったとしても、安全面を少しでも向上させるために何ができるのか。ボクシングという競技の本質を揺るがすようなルール改正は現実的ではないにしても、セキュリティ、医療体制をもっと強化することはできないか。

悲劇の一戦から学んだNYSAC

 20年以上に及ぶボクシング取材歴の中で、筆者も残念ながら何度かリング事故に直面した経験がある。

 中でも強烈に記憶に刻まれているのは2013年11月2日、ニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデン・シアター(現在の名称はHuluシアター)で挙行されたマゴメド・アブドゥサラモフ(ロシア)対マイク・ペレス(キューバ)のヘビー級10回戦だ。この試合で激しい打ち合いの末に判定負けを喫したアブドゥサラモフは脳内出血を負い、危篤状態で入院。奇跡的に一命は取り留めたものの、以降は生涯にわたって車椅子生活を強いられることになった。

 試合を管理したニューヨーク州アスレチック・コミッション(NYSAC)、ドクターの診断に問題があったとして、アブドゥサラモフの家族が訴訟を起こす事態になった悲劇的な一戦。ニューヨークの関係者、ファンの心に暗い影を落としたこの試合のあと、地元のボクシング興行は徐々に変わっていった。端的に言って、NYSACはボクシングイベントにおける安全対策をより厳重にしようと試みてきたのだ。

 昨今のニューヨークの試合では選手が少々のダメージでも担架で運び出されるシーンが見受けられ、レフェリーのストップも早まった印象がある。コミッション、ドクターが動きやすいように試合時の動線がより厳格に定められ、2016年夏には興行時の医療費の保険料が大幅に増加された。この保険料の問題は大きく、その後、やや緩和されたものの、結果的にニューヨークのボクシングイベントは長期減少傾向となっている。

 慎重な安全対策、早めのストップにしても、バイオレンスを求めるファンに必ずしも常に好評なわけではない。とはいえ、様々な変更のあとで、ニューヨークでは以降、リング禍が起こっていないことは評価されてしかるべき。そんな経緯から、ニューヨークの一部の関係者は業界の流れを変化させた一戦としてアブドゥサラモフ対ペレス戦を記憶している。

未来に向けて最善を期す

 繰り返すが、穴口の痛ましい事故のあとで、日本のシステムに足りない部分があると糾弾したいわけではない。他国の方向性に倣うべきと言いたいわけでもない。加撃によって相手にダメージを与えることが目的のボクシングというスポーツにおいて、これから先も残念ながら事故は起こり得るのだろう。

 ただ、そんな中でも、これまでに起こったことをすべて振り返り、学び、未来に向けて最善を期すことはできる。今回の興行でもリングから降りる際に足の痙攣など明らかに異常を感じさせた穴口への配慮、対応などは、改めて検証する必要があるに違いない。

「ボクシングを観て、罪悪感を感じる夜がある」

 筆者がかつて翻訳を担当した4階級制覇の名王者ロベルト・デュラン(パナマ)の伝記本、『「石の拳」一代記』の中にそんな一文があった。穴口逝去のニュースを聞き、痛切にそのフレーズを思い出させられることにもなった。

 余りにも残酷に身体にダメージを与え合うこのスポーツを好み、興奮し、歓喜することに罪の意識を覚える試合は実際に存在する。ただ、それでもすべてのマイナス点を凌駕するほどに素晴らしいものがあると信じるから、私たちはボクシングを愛し続ける。これからもずっとそうでありたいからこそ、悲しみの最中、少しでもいい方向に向かうための努力を怠ってはならないのだろう。

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