八重樫東「やってやるよ、こいよ」両目がパンパンに…いま明かす“怖かった”あのロマゴン戦の心中「僕はヤンキーではないけど」「尚弥と似ていた」―2024上半期読まれた記事

2023ー24年の期間内(対象:2023年12月~2024年4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。格闘技・ボクシング部門の第3位は、こちら!(初公開日 2023年12月24日/肩書などはすべて当時)。

「おう、やってやるよ、こいよ」。試合前は寝つけないほど恐れていたロマゴン戦、なぜ伝説的な試合となったのか? “激闘王”八重樫東が半生を語った。(全4回の3回目)

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 八重樫東はローマン・ゴンサレスの凄まじさを思い出していた。2007年11月3日の東京・後楽園ホール。初来日した20歳のロマゴンは世界挑戦したばかりのエリベルト・ゲホンをボディ一発で沈めた。その光景を見て、「なんだコイツは……」と思った。翌年、ロマゴンがWBAミニマム級王者の新井田豊に挑戦した興行では前座に出場。試合を終え、ロマゴンが新井田を滅多打ちにする衝撃のシーンを目の当たりにすると「こいつ、すげー」と思わず感嘆の声を漏らした。あのロマゴンと対戦するかもしれないのだ。

「大丈夫です、と言ったものの、内心は『いやいや、マジかよ、ロマゴンか……』と思いました。怖かったです。不安しかないですよ」

腹を括った「ロマゴンも同じ人間だ」

 井岡も無敗の相手だったが、頭の中で勝つイメージができた。しかし、ロマゴンに対しては、攻略の糸口さえ見えてこない。恐怖と不安。試合まで寝つけない日々が続いた。

「腹を括ったんですよ。もうやるしかない。ロマゴンも同じ人間だ、と。あのとき自分が王者だけど、気持ちは挑戦者。世界最強に挑むという立ち位置でいこうと思ったんです」

 危機感が募り、練習はこれまでにないくらい集中できた。コンディションもいい。けがもない。日々やり切った。気がつけば「これで負けたならしようがない」と思えるくらい練習に没頭していた。

 会長の大橋秀行は大舞台になると優しい目で必ずこう言ってきた。

「気楽にいこうな。これで終わりじゃないんだから」

 八重樫はその言葉の意味を知っていた。大橋は張正九に屈しても、リカルド・ロペスに敗れても次があった。八重樫もそうだ。井岡戦の後にすぐ世界戦のオファーが来た。思い切りぶつかればいい。たとえ負けたとしても次がある。いや、誰もが避けるような「最強」と闘うことに価値がある。全力で向かっていくことが勲章になるのだ。

「これはいけるかもしれない」

 2014年9月5日、東京・代々木第二体育館。ウオーミングアップを始めると、体が動く。気持ちも高ぶる。心も体も充実していた。

「調子いいぞ、これはヤバいことになるぞ」

 セミファイナルで、WBCライトフライ級王者の井上尚弥が11回TKOでタイの挑戦者を退け、初防衛に成功した。いよいよ、八重樫の試合だ。

 リング上でロマゴンと対峙する。ハードパンチを想像していたが、そうではなかった。

「あっ、これはいけるかもしれない」

 距離をとり、左ジャブを放つ。右ストレート、左フック。だが、当たっている感触がない。パンチの力を逃すのが巧く、気がついたら距離を潰され、目の前にロマゴンがいた。「えっ、もういる」。そう思った瞬間、パンチを食らっていた。

 3回。ワンツーでペースを握り、大きな左フックを放つ。そこに小さく打ち抜く左フックが飛んできた。ダウン。だがすぐに立ち上がった。

初めての感覚「ロマゴンの恐ろしさ」

 八重樫はこれまで経験のない感覚を味わっていた。ロマゴンはボクシングを熟知している、そう伝わってきたのだ。まるでもう一人のロマゴンが天から試合を見ているかのように、自分の立ち位置を把握している。しかも八重樫がパンチを打ち込んでも、相手の表情は一切変わらない。淡々と打ち返してくる。

 バン・バン・バンと続くロマゴンの連打。もうコンビネーションが終わったと思っても、さらに、バン・バンと飛んでくる。パンチのつなぎ目がないのだ。

「ロマゴンは追撃がしつこいんです。そこは尚弥と似ていますよね。もう終わりかな、と思ってもまだ飛んでくる。打ち終わりにカウンターを取ろうと思ったところに、またバン・バンと来る。あれは巧さですね」

「おう、やってやるよ、こいよ」

 八重樫は被弾しても打ち返した。怖かったはずが、次第に楽しくなってくる。表情が柔らかくなり、笑みが漏れた。

「もらっても倒れる気はしなかったんで。おう、やってやるよ、こいよ、っていう気持ちになったんです。僕はヤンキーではないし、大人しい人間ですよ。でも井岡戦の最後とロマゴン戦はそういう気持ちになりましたね」

 打たれても、怯えず、向かっていった。9回。連打で前進したが、左アッパー、右ストレート、左アッパーの3連打で倒された。八重樫は片膝をつき、コーナーを見て、セコンドに「大丈夫です」と目配せをしたつもりだった。気持ちはまだ燃えている。もっとできる。だが、レフェリーが覆いかぶさるようにして試合を止めた。会長の大橋とトレーナーの松本に抱えられ、コーナーに戻る。椅子に座った八重樫は両目を腫らし、微笑んでいた。痛々しい。だけど、どこか美しく、儚い表情だった。最強に挑んだ、八重樫の闘いは終わったのだ。

「負けちゃったなあって、もちろん悔しかった。どの試合も一生懸命、丁寧にやっていたつもりです。でも、相手によってこんなに違うんだな、と。こんなに気持ちも集中力も入った試合はなかったですね」

3階級制覇、そして37歳で…

 31歳。これが24戦目。引退が頭をよぎる。「やり切ったかな」という思いもあった。敗れた。壮絶に散った。ゆっくり考えよう。だが、またも周囲から予想外の反応が返ってくる。

「心を打たれた」。「また試合が見たい」。反響の大きさに驚いた。試合から少し時間が経ち、大橋から伝えられた。

「八重樫、おまえ、すぐに世界戦ができるぞ。ライトフライ級だけど、落とせるか?」

 もう次の試合のオファーが来ている。しかも世界タイトルマッチだった。

「俺にはまだニーズがあると思ったんです。プロ選手って、変な言い方ですけど、あくまで商品。売れないとダメだし、まだ俺の商品価値は残っているんだなと思いました」

 ロマゴン戦から3カ月後、WBCライトフライ級王座決定戦に挑んだ。敗れたものの、その1年後、IBFライトフライ級王座を獲得し、世界3階級制覇を成し遂げた。

 振り返れば、いつしか「激闘王」と呼ばれ、ロマゴン戦から5年以上も闘い続けた。2019年12月、世界挑戦で9回TKOに敗れ、決意は固まった。35戦28勝16KO7敗。「好きな競技を続けたいから」とプロに入り、足かけ16年。もう37歳になっていた。

「尚弥、悪い。ちょっと引退スパーをしたいからお願いね」

 2020年夏、八重樫東は井上尚弥にそう声をかけた。

つづく

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