藤井聡太21歳「開き直って頑張りたい」名人戦と叡王戦“不調説”は本当か…初カド番と“八冠陥落”危機に思い出す「96年の羽生善治七冠」

 藤井聡太叡王(21=竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖を合わせて八冠)に伊藤匠七段(21)が挑戦している第9期叡王戦五番勝負。その第3局は5月2日に愛知県名古屋市「名古屋東急ホテル」で行われた。そして伊藤が激闘の末に第2局に続いて勝ち、2勝1敗と勝ち越した。その結果、伊藤は叡王のタイトル奪取まであと1勝と迫った。藤井が計23期のタイトル戦で、同一カードで連敗と負け越し(第1局を除く)は初めてのことだ。

 タイトル戦で21連覇している藤井の意外な変調、公式戦で藤井に11連敗していた伊藤の反転勝利、などの背景について田丸昇九段が解説する。

今期名人戦、叡王戦のここまでを振り返る

 2023年度のプロ棋界の勢力図は、昨年10月に八冠制覇の偉業を達成した「藤井聡太」一色に塗りつぶされた。

 今年4月に発表された将棋大賞では、藤井は最優秀棋士賞を4回連続で受賞した。年度勝率は1位の0.852(46勝8敗)。1967年度に中原誠十六世名人(当時五段・20)が打ち立てた歴代1位の0.855(47勝8敗)にわずかに及ばなかった。

 24年度に入ると、第82期名人戦七番勝負で藤井名人は挑戦者の豊島将之九段(34)に2連勝。第9期叡王戦五番勝負で藤井叡王は挑戦者の伊藤七段に初戦に勝利。藤井はこのように好スタートを切ったが、内容的には敗勢に陥る状況にもなった。名人戦と叡王戦の戦いぶりを、時系列で振り返ってみる。

◆叡王戦第1局(4月7日)愛知県名古屋市「か茂免」 ※持ち時間は各4時間

 振り駒の結果、先手番は藤井に決まる。戦型は角換わり腰掛け銀。長い駒組み手順を経て戦いが始まり、藤井が桂得に成功した。伊藤はその代償に相手の玉頭に迫った。敵陣に角をともに打った攻め合いで、伊藤に寄せを逡巡する疑問手があり、藤井が▲6六飛と寄せに活用する手で勝勢になった。

 17時58分、藤井叡王が107手で先勝。残り時間は、藤井8分、伊藤0分。

 藤井「少し苦しい展開でしたが、飛車がさばけて抜け出せました」

 伊藤「何かチャンスがあると思いましたが、寄せを誤ったようです」

名人戦第1局は「押されている時間が長かった」

◆名人戦第1局(4月10・11日)東京都文京区「ホテル椿山荘東京」 ※持ち時間は各9時間

 振り駒の結果、先手番は藤井に決まる。

 豊島が4手目に9筋の端歩を突いて作戦面が注目されたが、藤井に▲3四飛と横歩を取らせる形となった。双方の飛車と馬が中段でにらみを利かし、一触即発の空気が生じたが、馬と馬が交換されて通常の駒組み手順に戻った。

 中盤で豊島が飛車取りに打った△9五角が意表の一手で、藤井の攻め駒を抑えた。その後、激しい攻め合いとなり、豊島は藤井の玉に襲いかかった。終盤で△4八竜と金を取れば豊島の勝ち筋だったが、ノータイムで指した△4四香が敗着となった。窮地を逃れた藤井はしっかり寄せ切った。

 11日21時22分、藤井名人が141手で先勝。残り時間は、藤井3分、豊島1分。

藤井「あまり想定されない展開となり、内容的に押されている時間が長かった」

豊島「チャンスの局面があったのに、正しい寄せを逃したのはひどかった」

タイトル連勝が止まった一局は「かなり早く想定から…」

◆叡王戦第2局(4月20日)石川県加賀市「アパリゾート佳水郷」

 戦型は角換わり。後手番の藤井は△3三金の形に組み、早繰り銀で7筋から先攻した。実戦例はほかにあるが、藤井は公式戦で初めて採用した。藤井が8筋で銀交換して飛車を4筋に転じると、伊藤は角を敵陣に打って▲4七角成と自陣に引いて藤井の飛車を追った。藤井の飛車と中段に打った角の攻めに対して、伊藤は懸命に防戦した。形勢不明の終盤の局面で、藤井の玉が詰むかどうかの状況となったが、伊藤が見事に即詰みに討ち取った。藤井は玉の逃げ方を誤ったようだ。

 18時20分、伊藤七段が87手で勝って1勝1敗の五分に。残り時間は、両者ともに0分。

 伊藤「難しい将棋で、最後も勝ちの順が見えないまま指していました。結果がひとつ出て(藤井に初勝利)よかったです」

 藤井「△3三金の形は予定の作戦でしたが、かなり早く想定から外れました。終盤では違う勝負手を掘り下げるべきでした」

 伊藤は公式戦で藤井に11敗1持将棋だったが、本局で初勝利を挙げた。藤井はタイトル戦の対局で16連勝していたが本局で敗れ、大山康晴十五世名人の17連勝(1961年~62年)の記録に並べなかった。

「▲5二金と打たれたら負けだった」名人戦第2局

◆名人戦第2局(4月23・24日)千葉県成田市「成田山新勝寺」

 戦型は先手番の豊島が「ひねり飛車」。ただ飛車を7筋に転じる時期が遅れ、その飛車を藤井の持ち駒の桂で狙われて苦しくなった。豊島は防戦一方だったが、藤井の攻め急ぎによって持ち直した。

 中盤から終盤は激しい攻防が繰り広げられ、形勢は大きく揺れ動いた。終盤の土壇場では、同一手順の繰り返しで無勝負の千日手もありうる▲6一銀成から▲5二銀、寄せにいく▲5二金の選択肢があった。豊島は読み切れずに自陣を受ける手を指したが、藤井の厳しい寄せに屈した。

 24日21時19分、藤井名人が126手で勝って2連勝。残り時間は、藤井2分、豊島1分。

藤井「▲5二金と打たれたら負けだったと思います」

豊島「▲5二金は詰めろだったんですね(局後の検討で長手順の詰みが発見される)」

「終盤で見落としがあった」叡王戦第3局

◆叡王戦第3局(5月2日)愛知県名古屋市「名古屋東急ホテル」

 戦型は角換わり腰掛け銀。先手番の藤井が桂香で攻め立てると、伊藤は丁寧に受けて対応していたが、機を見て攻め合いにいった。そして伊藤は飛車取りにかまわず、△6六桂の金取りから△6八角の王手で迫った。

 藤井は懸命に玉を守ったが、疑問手があったようで受けなしの局面に追い込まれた。そんな状況で▲4三桂以下の王手をかけ続けると、敵陣の飛車と馬が働いてきた。しかし伊藤は冷静に対応し、豊富な持ち駒を駆使して藤井の玉を寄せ切った。

 18時43分、伊藤七段が146手で勝って2勝1敗と勝ち越した。残り時間は、両者ともに0分。

 伊藤「中盤は自信のない展開でしたが、終盤では何か手段がありそうな気がしました」

 藤井「終盤で見落としがあり、最後は追い込みましたが負けかなと思っていました」

 伊藤七段は叡王戦第3局に勝ち、叡王のタイトル奪取まであと1勝と迫った。ただ終局後に「中盤のバランスの取り方に課題が残りました」と語り、いつものように冷静な様子だった。藤井叡王は「カド番になって厳しい状況ですが、開き直って頑張りたい」と語った。叡王戦第4局は5月31日に千葉県柏市「柏の葉カンファレンスセンター」で行われる。

 今年4月以降の藤井の5局の将棋を見ると、勝った3局は完勝の内容ではなく、相手の悪手に救われてきた。負けた2局は終盤での見落としが響いた。

 一流棋士同士の対戦では、ぎりぎりの攻防で勝負が決着する。終盤の土壇場で逆転は付きものだ。藤井が八冠を達成した昨年10月の王座戦第4局でも、永瀬拓矢王座(当時31)の終盤の悪手で逆転勝ちした。そうした勝利の女神を味方にできるかどうかが第一人者の条件といえる。その意味で、藤井は女神に愛され続けてきた。

「不調説」は心配ない。むしろ伊藤の強さが

 昨今は藤井の「不調説」が取りざたされているが、それほど心配はないと思う。

 藤井は大記録やタイトル獲得がかかった対局で、平常心で盤面に集中して栄誉を得てきた。しかし、負けると叡王失冠(八冠陥落)という後ろ向きの勝負は初めての経験だ。そんな苦境をどのように乗り越えるのか、今後の棋士人生を占う意味でも注目したい。

 伊藤は昨年の竜王戦で藤井に挑戦して4連敗、今年の棋王戦で藤井に挑戦して3連敗と、タイトル戦で敗退してきた。通常なら心が折れてしまうもので、ほかの対局にも影響しかねない。ただ「藤井戦ではばっさりと斬られるので、ほかの棋士との敗戦より悔しさを感じない」と語ったという。

 その精神的な強さ(または鈍感力?)が今期叡王戦での原動力になっているのかもしれない。

羽生は七冠達成の5カ月半後、三浦に敗れ…

 1996年2月14日に羽生善治(当時25)は「七冠制覇」の偉業を達成した。あまりにも強いので、タイトル独占はずっと続くと思われていた。しかし5カ月半後の7月30日、第67期棋聖戦五番勝負で羽生棋聖は三浦弘行九段(同五段・22)に2勝3敗で敗れ、七冠の一角が崩れた。その三浦は前年の棋聖戦でも羽生に挑戦し、3連敗で敗退した。

 今日の藤井八冠も、タイトル独占はずっと続くと思われている。ただ伊藤七段は三浦と同じくタイトル再挑戦で、叡王戦は棋聖戦と同じ五番勝負。似たような状況で、果たして96年の再来はあるだろうか……。

2024-05-05T08:07:49Z dg43tfdfdgfd