阪神・岡田監督の“神起用”、根底にあるのは吉田義男監督の『金言』か「自分の前で年下のやつが打ったら気分悪いやろ」

◇コラム「田所龍一の岡田監督『アレやコレ』」

 岡田監督の“神起用”には恐れ入る。打線変更で先発出場させた選手がことごとく活躍する。4月26日のヤクルト4回戦(甲子園)で3失策し、大敗の原因を作った遊撃手・木浪に代えて小幡を27日の5回戦に先発起用すると、2安打1打点の活躍。28日には“三振苦”で悩む三塁手・佐藤輝に代えて先発起用した糸原が4打数3安打1打点の大活躍で逆転勝ち。もちろん、活躍は偶然ではない。

 岡田監督によると木浪→小幡の場合は「そろそろ木浪に疲れが出る時期。打撃の調子も落ちてきていので、いつ小幡と代えようかとタイミングを計っていた」という。そして佐藤輝→糸原の交代は「そろそろ(交代の指令が)くるんじゃないか―と糸原の準備ができていた」。

 岡田監督の“神起用”といえば14日の中日3回戦(バンテリンドームナゴヤ)。3連敗中の岡田監督はなんと野手全員の打順を入れ替えた。

① (中)近本→(遊)木浪

② (二)中野→(捕)梅野

③ (右)森下→(中)近本

④ (一)大山→(三)佐藤輝

⑤ (三)佐藤輝→(一)大山

⑥ (左)ノイジー→(左)前川

⑦ (捕)梅野→(右)森下

⑧ (遊)木浪→(二)中野

⑨  投手

 「監督は何かを変えないといけない―と思って打順を入れ替えたんです。だからみんなやるべきことは分かっていました」。1-1の同点で迎えた7回2死二塁で中前へ決勝タイムリーを放った中野は胸を張った。その勝利から7連勝を含む9勝1敗2分け。監督と選手の気持ちがぴったり合っての好成績なのだ。

 こんな逸話がある。昭和60(1985)年のこと。開幕戦前夜、広島の宿舎で岡田(当時は主将)は吉田義男監督に呼ばれた。部屋へ行くと吉田監督は開幕戦の先発オーダーを検討していた。1番・真弓から順当に決まっていく。7番のところで吉田監督が岡田に聞いた。

 「平田と木戸はどっちが年上や?」「はい、平田です」「そうか、そんなら平田が7番で木戸が8番やな」。岡田は驚いた。打撃力では木戸の方が上。なら7番が木戸では? 岡田は理由を尋ねた。すると、吉田監督は「自分の前で年下のやつがポカスカ打ったら気分悪いやろ。そやから木戸が後ろなんや」と。監督とはそこまで考え、配慮して打順を決めるんや―と岡田は学んだ。それが“神起用”に生きているのかもしれない。

 ▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の68歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。

2024-04-29T02:39:19Z dg43tfdfdgfd