食事は冷めたピザ、何度も監督室で「クビ」宣告…筒香嘉智はそれでもメジャー挑戦をやめなかった 在米記者が見た「4年間の苦闘」

4月18日、DeNA復帰の公開記者会見を行った筒香嘉智。ハマの大砲は2020年2月からアメリカの地で挑戦を続けてきた。取材してきた筆者が振り返るメジャー挑戦の日々とは――。

 2020年以来、米国でプレーを続けてきた筒香嘉智が、古巣DeNAへの復帰を決断した。4月18日、慣れ親しんだ横浜スタジアムでの入団会見。ファンの前に姿を見せた筒香の、スッキリしたような表情が印象的だった。

帰ろうと思ったことはないです

 米国では、独立リーグを含む7組織、傘下のマイナーを含めると計11チームに所属した。これまで戦力外通告を受けるたびに、DeNAをはじめNPBの複数球団から復帰への打診が、筒香の耳には届いていた。周囲からは早期復帰を望む声も聞こえた。だが、筒香の初志が揺らぐことはなかった。

 メジャーでプレーする可能性がわずかでもある限り、あきらめるつもりはなかった。今年2月下旬、ジャイアンツのキャンプに招待選手として参加していた際、腰痛で別メニューとなっても前向きな姿勢は変わっていなかった。

「帰ろうと思ったことはないです。(NPB球団から)いいオファーを頂いて、エッと思ったんですけど、帰ろうかなというのはないです。どのチームからも取ってくれなかったらこっち(米国)ではできなくなりますけど、それがあるうちに勝負したいと思っています」

 時の流れに逆らえないことも、自分でコントロールできないことに不平不満を漏らすつもりはない。どんな環境に身を置いても、筒香の信念は変わらなかった。

メジャー1年目でコロナ禍が直撃

 レイズ入りした2020年2月18日、万全を期してフロリダ州ポートシャーロットで春季キャンプ初日を迎えた。ところが3月中旬、世界的にコロナ禍が拡大し、キャンプのみならず、公式戦実施も白紙となった。その間、練習場所の確保もままならない中、7月下旬からスタートする「年間60試合」の変則開催が決まった。オープン戦など対外試合は組めず、チーム内の紅白戦などで実戦感覚を取り戻すしかなかった。メジャー1年目としては、異例と言える「ぶっつけ本番」の船出だった。

 無観客は言うまでもなく、毎日PCR検査を受けて球場入りするなど、前代未聞の状況で迎えた7月24日の開幕デビュー戦。「3番三塁」でスタメン出場した筒香は5回の第3打席、ブルージェイズの左腕・柳賢振から左中間へ豪快な2ランをたたき込んだ。筒香特有の中堅から逆方向への一発に、周囲の期待は高まる一方だった。ところが、その後、筒香のバットからは快音が途絶えた。動く速球だけでなく、「バレルゾーン理論」の浸透に伴い、時速150km台後半の高めの速球を軸とした配球に対応するのは簡単ではなかった。

2年目の逆転サヨナラ弾、3年目は1年契約を選択

 翌21年には、レイズから戦力外通告を受けた後、ドジャースを経て、シーズン終盤の8月、大砲不在のパイレーツへ移籍した。同29日の本拠地カージナルス戦では9回、右翼場外へ消える特大の逆転サヨナラ3ランを放つなど、持ち前のパワーを発揮した。同オフには、パイレーツから複数年契約を提示されたにもかかわらず、自ら1年契約を選択した。だが、開幕直後に腰痛に見舞われたのを機に、戦列から離脱した。そこから再びプレー機会を求め、他球団を渡り歩く日々が始まった。

ビザ取得が遅れ、調整が間に合わなかった4年目

 23年はレンジャーズとマイナー契約を交わしたものの、ビザの取得が遅れ、キャンプには途中合流を余儀なくされた。開幕までに実戦での調整が間に合わず、戦力構想から外れ、マイナー行きを通告された。

 開幕後間もなく、傘下3Aでプレー機会が少ないことを実感した後には、独立リーグのニューヨーク「スタテン・アイランド」でプレーすることを決断した。中心地マンハッタンからフェリーで約25分を要する同地では、食事はほぼ毎日冷めたピザばかり。手を伸ばせる代物ではなかった。そんな不遇の中でも、結果を残したことで、同年にはジャイアンツとマイナー契約を交わした。NPBで打撃2冠を獲得した実績があっても、米国の競争社会では何の意味も持たない。めまぐるしい環境の変化も、正面から受け止めつつ、グラウンドに立つことを最優先にしてきた。

常にアクシデント続きだった日々だったが…

 米国移籍後は、コロナ禍、オーナー陣による「ロックアウト」、故障、ビザの取得遅れなど、常にアクシデントと向き合ってきた。その間、監督室に呼ばれ、「クビ」を通告されたことも1回や2回ではない。だが、ロッカー室で荷物をまとめ、次の行き先が見えないまま、球場を後にしても、筒香は未練がましく振り返ることをしなかった。

 目標をあきらめる、という選択肢はなかった。

自費2億円を投じた活動に込めた思い

 野球選手としての処遇が不安定でも、筒香は自らの置かれた立場や役割を強く自覚していた。昨年12月には、故郷の和歌山・橋本市に自費2億円を投じた「TSUTSUGO SPORTS ACADEMY」が完成した。

「未来ある子供たち。それをつぶすのも大人ですし、生かすのも大人」

 野球界だけでなく、日本の将来を背負っていく子供たちをサポートするために、大きな一歩を踏み出していた。

筒香にとって無駄なものはひとつもない

 確かに、米国での月日は、順風満帆には程遠かった。ただ、筒香の価値観は違う。5年ぶりにDeNAの背番号「25」に袖を通した筒香は言った。

「過去のことを振り返っている時間はない」

 たとえ、周囲には不器用な生き方と映ったとしても、筒香にとって無駄なものはひとつもない。

 米国で培ったハングリーさ、貫き通した野球への真摯な姿勢、そして子供たちへの思いは、満員の横浜スタジアムで、豪快なアーチとなって、再び花開くに違いない。

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