「網膜裂孔を『白内障』と偽ったまま、井上尚弥との勝負の舞台へ」怪物に初めて挑んだ日本人ボクサーが強化合宿中についたウソ

<いまや世界中のボクシングファンの注目を集める井上尚弥選手。対戦相手たちの証言を元に、その強さの秘密、闘うことの意味について綴った『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』(森合正範著)が4万部超えのベストセラーとなっている。

2023年度の「ミズノスポーツライター賞最優秀賞」も受賞した本作の中でも特に評判の高かった、「井上尚弥が初めて戦った日本人」佐野友樹との死闘を描いた章を特別公開する――。>

「4月16日」

井上のテレビ中継は、2012年10月2日のプロデビュー戦が深夜の2時50分から、13年1月5日の二戦目は午後三時から、いずれもTBS系列で放送された。ここに来てフジテレビが独占放送権を獲得。13年4月16日、東京・後楽園ホールで行われる佐野―井上戦は、1992年に渡辺雄二がヘナロ・エルナンデスに挑戦した世界戦以来二十一年ぶりにフジテレビがゴールデンタイムでボクシングを生中継することになった。

しかもそれがノンタイトル戦とくれば、いかに井上が注目されていたか分かるだろう。井上のための試合であり、井上のためのテレビ中継だった。

2013年2月19日、佐野は自身のブログに「4月16日」と題し、試合への思いを綴った。

〈次の試合は僕が今までした試合の中で、タイトルマッチ以上に注目が集まるビッグマッチだと思います! 注目は対戦相手の井上選手に集まっているのもわかります。ですが、僕にとってもチャンスだと思っています!

僕はボクサーのサラブレッドでもなければ、幼少時に英才教育を受けたボクサーではありません。小学五年生の時にプロボクサーに憧れ、かってにジムに行き、先輩の練習を見てマネしてボクシングをして練習してきました。ボクシングに恵まれた環境ではなかったかもしれませんが、自分の生きて来たボクシングの道に誇りを持っています。自分の全てをだし切り、プロボクサー佐野友樹としての生き様を見せます! そして、勝ちに行きます!〉

雑草と怪物

独特で温かみのある関西弁は相手をリラックスさせ、安心感を与える。

VADYジム会長の高嶋穣はジムこそ違うが、佐野との結びつきが強かった。日本タイトルに挑んだ黒田戦の入場前、円陣を組み、「いくぞー」と声を張り上げたのは高嶋だった。

高嶋が佐野のことで印象に残っているのは井岡一翔、宮崎亮とのスパーリングだ。井岡が日本王者になる前年のことだった。試合を控え、井岡は兵庫県神戸市長田区にある高嶋のVADYジムに練習に来ていた。そこにちょうど居合わせたのが佐野だった。

「井岡とスパー出来るか?」

「おい、佐野、井岡とスパーリングできるか?」

高嶋が問い掛けた。高校六冠の鳴り物入りとベテランの佐野。お互いの刺激になるのではと考えた。だが、佐野は試合の予定がなく、まだ本格的な練習に入っていなかった。

「やります、やらせてください。四ラウンドくらいでしたら大丈夫です」

「うーん、あっちは七~八ラウンドを希望しているんだよ。おまえのほうがランキングで格上だしな。やってくれないか」

ボクシングの常識でいえば、いきなりスパーリングを七~八ラウンドこなすのは無謀だ。しかし、高嶋は内心「佐野は意外とやるんちゃうか」と思っていた。実際、まずまずのスパーリングだった。佐野は別の機会に井岡ジムを訪れ、二度目の手合わせをした。

高嶋はその様子を鮮明に覚えている。

「佐野と『こうしようか』というのがうまくはまったんです。スパーリングに勝ち負けはないけど、すべてのラウンドで互角以上。向こう(井岡)は凹んでしまった。お父さんに怒られていましたわ。僕はここぞとばかりに佐野を褒めあげて、この調子でやれよと言いました」

2012年6月、WBC王者井岡は、WBA王者八重樫東とのミニマム級王座統一戦の前に佐野をスパーリングパートナーとして呼び寄せた。明らかに佐野の力量を認めていた。

高嶋は「佐野の右は独特なんです」と説明する。

「先の尖ったものが当たるようなパンチで痛い。距離は短く、相手が右を打ってきたら、頭を反らしながら、ちょこんと出すだけ。強振しないんですよ。脇を締めて、ちょこんと当てる。あの右のショートでうちのジムの選手たちはバタンバタン倒されたんです。佐野は『沖縄尚学で金城先生に教えてもらった』と言うとりましたわ」

井上戦について、高嶋は松田ジムのマネジャー、松田鉱太から電話で相談を受けていた。

「おう、井上戦ですか。それはもうやったらいいんちゃいます?」

「じゃあ、また佐野を練習で行かせますんで、よろしくお願いします」

佐野は試合約一ヵ月前の2013年3月18日から六日間、神戸のVADYジムを拠点にスパーリング合宿を敢行した。

何かがおかしかった

初日。高嶋は佐野の動きを見るや否や「あれ?」と異変を感じた。一年ぶりの試合。これまでと明らかに違う。言葉では説明しづらいが、何かがおかしかった。

「佐野の動きが悪くなっていたんです。実際はあまり(目が)見えていなかったのかな。彼は昔気質のボクサーですからね。痛い、かゆいは絶対に言わない。ただ『大丈夫です』と言うだけ。私には精神状態もあまり良くなかったように感じました。

それで鉱太君と話したら、『白内障だったんです』って言うから『あら、ほんまかいな』と。本人に聞いたら『そういう問題もありますけど、大丈夫です』って言ってましたわ。まあ、そういう状態だったんです」

佐野は網膜裂孔を伏せ、周囲には白内障と伝えていた。

高嶋は佐野を車に乗せて、井岡ジムに行き、WBAミニマム級王者の宮崎と五ラウンド、別の日にはWBAライトフライ級王者の井岡と五ラウンドのスパーリングを重ねた。以前の動きには戻らない。だが、少しずつ調子を上げていき、表情も研ぎ澄まされていく。充実した神戸でのスパーリング合宿を終えた。

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