米国でも「多大な敬意」 もっと賞賛すべき、ブル中野のWWE殿堂入り ケタ違いだった「プロ意識」

 女子プロレスラー・ブル中野が世界最大のプロレス団体WWEのホール・オブ・フェイム(殿堂)入りを果たした。レスラー部門として日本人5人目(女子では初)の快挙でレジェンドレスラーとして本場でも認められた形だ。

「もし生まれ変われるようなことがあれば、またブル中野として生まれ変わりたい。そしてWWEのリングに戻ってきます。この賞は私の宝物です」(ブル中野)

 現役時代と同じフェイスペイントを施し、涙を流しての英語スピーチが感動を呼んだ。

 4月5日(日本時間6日)、米国フィラデルフィアのウェルズファーゴセンターでWWEホール・オブ・フェイム入り式典が行われた。1994年に日本人初となるWWF世界女子王座(当時)を獲得したブル中野は、30年の時を経てプロレスラーとして最高峰の栄誉を手にした。

「米国内では大きな話題となっている。WWEへの注目度も高いうえに近年は日本人女子レスラーの活躍も目立つ。その元祖がブル中野であり多大なリスペクトが払われている」(米国在住スポーツライター)

 ブル中野は1983年に全日本女子プロレス(=全女)でデビュー、1985年に「ブル中野」に改名するとブレイクを果たし1990年にはWWWA世界シングル王座を獲得する。1993年からはWWF(現WWE)に参戦、1994年11月20日の全女・東京ドーム大会でアランドラ・ブレイズ(メドゥーサ)を破ってタイトル奪取。97年に現役引退後(2012年に引退興行)は、プロゴルファー挑戦なども話題となった。

「ブル中野はWWF、日本、そしてメキシコCMLLで王者になっている。当時WWFとの二大勢力だったWCWでも活躍した。確かな技術、強い精神力、表現力などレスラーとしての評価が非常に高い。今回の殿堂入りは当然という声を多くの人から聞く」(元スポーツ新聞プロレス担当)

 WWE・CCOのトリプルHは自身のX(旧ツイッター)で「史上最高の女子レスラーの一人であるだけではなく、史上最高のレスラーの一人」と最大限の賛辞を送っている。

 試合内容で強烈なインパクトを残したレスラーだった。1990年11月14日、アジャ・コングとの金網デスマッチ戦(横浜文化体育館)では金網上からのギロチンドロップを放った。北斗晶との熱戦や神取忍とのチェーンデスマッチも壮絶を極めた。

「プロレスに対する覚悟が伝わってきた。お客さんから『金返せ』と言われたことへの反発心からデスマッチを行ったのも有名。賛否両論あるが、体を大きくするために筋肉増強剤を使用したことも明かしている。レスラーとしての見栄えを常に考えていたプロフェッショナルだった」(在京テレビ局スポーツ担当)

 日本人レスラーの過去の殿堂入りはアントニオ猪木、藤波辰爾、獣神サンダー・ライガー、グレート・ムタ(武藤敬司)の4人。日本プロレス界の重鎮たちに、文字通り肩を並べたことになる。

「プロレスをスポーツと考えれば、競技は違えどイチロー(元マリナーズほか)より早く殿堂入りを果たしたことになる。エンタメと考えれば映画のアカデミー賞や音楽のグラミー賞を受賞したのと同等と言える。本当に素晴らしい快挙だ」(米国在住スポーツライター)

 2001年には米雑誌『Wrestling Observer Newsletter』選定の殿堂入りは果たしていたが、WWE殿堂は時間を経てようやく実現した形だけにファンや関係者の喜びと安堵は大きい。

 プロレス大好き芸人・有田哲平も自身のYouTubeチャンネル『有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】』内で「殿堂入りが遅かった」としみじみと語っていた。

 スポーツ界のグローバル化が今よりも進んでいない時代、海外で功績を残したブル中野がWWEの殿堂入りという形で認められたことは、想像以上に凄いこと。“真のメジャーリーガー”ブル中野の快挙達成はもっと讃えられて良いはずだ。

2024-04-24T09:03:02Z dg43tfdfdgfd