「卓球より勉強を」「東北大へ進んでほしかったんです」「宿題ちゃんとやってる?」張本智和(19)の父が明かす“天才児の子育て術”――アスリート親子論BEST

NumberWebで特集が始まった「アスリート親子論」。これまで公開されてきた記事の中から、特に人気の高かった「アスリートの親子関係」にまつわる記事を再公開します。今回は、張本智和選手と父・宇さんの物語です。《初出:Sports Graphic Number932号(2017年7月17日発売)『天才中学生の真実「張本智和」はいかにして生まれたか』/肩書きなど全て当時のまま》。

 中国が卓球の全種目で金メダルを獲得したリオデジャネイロ五輪が閉幕した直後、中国の『捜狐体育』は日本に帰化した張本智和が「打倒中国の一番手」として期待されていることにふれ、「将来、もともとは中国人だった選手が日本を代表して数々の大会に出場し、中国最大のライバルになるだろう」と、皮肉を交えて論評した。

 記事は中国の元世界チャンピオンで、後に日本国籍を取得して祖国の宿敵となった小山ちれ(中国名:何智麗)にも言及していたが、卓球史の最年少記録を次々と塗り替えていく“怪物”が日本で生まれた背景に、その小山の存在が関係していたことはあまり知られていない。

「将来はそうした道へ進もうと考えていました」

 中国・四川省のプロ卓球選手として活躍した張本の父・宇が来日したのは、1993年だった。彼に声をかけた人物こそ、すでに大阪の池田銀行所属で活動していた小山である。小山が自らに代わって中国のエースとなった鄧亞萍を大熱戦の末に下して優勝した'94年の広島アジア大会で、宇は小山の練習パートナーを務めていた。

「海外でいろんな経験を積んだあと、中国へ帰ってプロチームの指導者になることが、当時の中国選手たちの多くが目指し、歩む道でした。小山さんに招かれて日本に来た私も、将来はそうした道へ進もうと考えていました」と、宇は振り返る。

 その後、カタールやイタリアでプレーしたあと、日本で築いた人脈を通じて仙台ジュニアクラブの指導者として'98年に再来日すると、運命の歯車はさらに大きく動き始める。仙台の地を拠点にした半年後、宇は交際していた張凌と籍を入れ、一緒に暮らすようになったのだ。張凌は中国代表として'95年の世界選手権天津大会に出場したほどの名選手で、引退後はマレーシアの女子代表監督を務めていた。

生まれた直後から、智和は妻に抱かれて……

 卓球界で名を知られた新婚夫婦には、母国からのオファーも届いた。日本語がまだ流暢ではなかった2人は日常生活にも苦労が絶えなかったが、中国には帰らず、日本での生活を選択する。日本の子供たちに卓球を教えるのが楽しかったのと、2003年6月27日、長男の智和が生まれたからだ。4050gの大きな男の子だった。

「生まれた直後から、智和は妻に抱かれて仙台ジュニアクラブの練習場に来ていました。卓球のリズム、音、卓球場の雰囲気を小さな体で吸収していたと思います。よちよち歩けるようになると、球拾いをしたりしてピンポン球にふれる機会が増えていきました。2歳になる前には、私や妻とラリーをしていた記憶があります」

 だが、その子育ては、決して卓球ありきではなかった。

 卓球は一通りの技術を習得するのに、2万1000時間かかるといわれている。1日6時間の練習を1年間に350日やれば、10年で到達できる数字である。

小学校卒業まで、1日2時間以上の練習したことがなかった

 小学生時代にそれぞれのカテゴリーの全日本選手権を6連覇、18歳以下のカテゴリーで争われる世界ジュニアを昨年12月、史上最年少の13歳163日で制した少年は、まさにその“理論”に当てはまる鍛錬を幼少期に積んだかのように報じられた。しかし、宇は「小学校を卒業するまで、1日2時間以上の練習なんてしたことがなかった」と言う。

「どんな特別な練習をしてたんですかってよく聞かれるのですが、私は仙台ジュニアクラブの指導者ですから、60人近くいる子供たちを平等に指導しなければいけません。智和にも他の子供たちと同じように、正しいフォームをしっかり身につけるように指導しただけです。自宅には卓球台がありませんから、マンツーマンで指導する場所もなかった。何より、妻が卓球よりも、勉強をがんばるよう智和に言い続けてきましたから」

 仙台ジュニアクラブの練習は午後9時までだったが、練習中に張本だけコートから姿を消すことがあった。母が「練習をきりあげて早く家に帰ってきなさい」と連絡してきたからだ。「今日はしっかり食事をとって、ゆっくり眠りなさい」と。

智和は自ら希望して学習塾に通い始めた

 クラブの練習が休みの木曜だけは家族3人で卓球台に向かったが、練習時間はふだんのチーム練習と同じく2時間だった。

「卓球は感覚のスポーツですから、小さいころから練習すればするほど、その感覚が早く身につくのは間違いありません。智和がいろんな大会で優勝するようになると、私はもっと練習に時間をさくべきではないかと思うこともありました。でも、妻はなにより、智和の体のこと、そして将来のことを考えていました。しっかりと勉強して、地元の東北大学へ進んでほしかったんです」と、宇は苦笑しながら振り返る。

 張本自身も、向学心の強い少年だった。小学校にあがる時、自らが希望して近所の学習塾に通い始めた。朝起きると、30分かけて塾の宿題プリントを仕上げてから登校する。授業を終えて帰ってきても、まず学校の宿題を終わらせてから、仙台ジュニアクラブの練習場に向かった。学習塾が実施する全国模試では、常に宮城県下で10番以内に入る成績だったという。

短い時間のなかで卓球も勉強も一生懸命やった

「時間をしっかりと区切って、短い時間を有効に使う生活習慣を身につけました。智和は負けず嫌いですから、その短い時間のなかで卓球も勉強も一生懸命やった。その結果、集中力は他の子供たちより高められたと思います」

 中国の卓球界は、国家的な強化プロジェクトで選手を育成してきた。地方の「業余体育学校」といわれるスポーツ専門学校に集められたエリート候補たちがふるいにかけられ、一部の優秀な選手は学校を離れて地元の省の代表選手として指導を受ける。8歳で本格的に卓球を始めた宇は、13歳の時に四川省の代表チームの一員になった。

「省ごとの代表チームに入ってプロになれるのは、ほんの数人だけです。同世代のライバルとの競争はめちゃくちゃ厳しかった。わずかですが、省のチームに入ったときからプロ選手として給料ももらっていました」

智和が日本の環境に適応できるように育ててきただけ

 同じ四川省出身の張凌はさらに過酷な選考を勝ち抜き、北京に招集されて中国代表の座にのぼりつめた。想像を絶するほど厳しい環境に身を置いた2人が、まったく違う環境で世界のトップレベルに達しようとする息子の土台を築いたことは、特筆すべきことかもしれない。

「私たちが育った環境では、子どもでも悔しさを露わにすることができませんでした。感情をぐっと抑えながら、ラケットを振っていました。智和はまったく違います。試合に負けたとき、人目もはばからずに号泣するのでなだめるのが大変でした。それが良いか悪いかではなく、私たちはただ、智和が日本の環境に適応できるように育ててきただけなんです」と、宇は言う。

 '14年の春、父と息子、そして妹の美和が日本に帰化した。

「'20年の東京五輪で金メダルをとりたい」という息子の夢を叶えるのに最適な判断だと夫婦で考えたからだ。この時点で中国のメディアは過敏に反応し、張本の夢に言及した『中国新聞』は「天賦の才があったとしても、16歳で世界の頂点に立つのは難しい」と評している。

 幸運だったのは、小学校卒業後に進んだ東京のJOCエリートアカデミーが、フィジカルや栄養管理も含めたさまざまなノウハウを蓄積していたこと、そして宇自身が日本代表男子のジュニア担当コーチとして息子の指導を続けられることになったことである。

「帰化した直後は複雑な感情もありましたが、今は日本人として日本代表になった息子をサポートすることにまったく迷いはありません。特別なことといえば、智和にはふだん中国語でアドバイスをしているのですが、中国選手とあたるときは日本語でアドバイスしていることぐらいです」

気持ちの強さは智和の卓球をさらに高めてくれるはず

 仙台を離れて1年半。マンツーマンで向き合う機会が増えた息子の成長は、父親の予想を大きく上回った。

「世界ジュニアや世界選手権でぶつかった海外の選手たちは、年齢だけではなく、実力的にも智和よりも上の選手が多い。智和のベンチコーチについて驚くのは、そうした格上の選手たちに対してもひるまず、勝ちたいという強い気持ちを持って向かっていくこと、そしてその気迫でときに相手を飲み込んでしまうことです。まだまだ課題もたくさんありますが、さらに高いレベルに飛び込んでも、この気持ちの強さは智和の卓球をさらに高めてくれるはずです」

 その強い気持ちは、どうやって育まれたのか。異国の地で労苦を重ねた両親の背中がなんらかの影響を与えているのかもしれないが、宇は「この勝ちたいと思う気持ちの強さだけは、誰かに教えられて身につくものではない」と語る。

「宿題はちゃんとやってるの?」

 7月に発表された最新の世界ランキングで、張本は18位にランクされた。だが、元中国代表の母の最高位だった22位を超えた今も、父は仙台に戻るたびに学習塾で中学生用の宿題プリントをもらってくる。そして息子に接する機会がめっきり減った母は、海外遠征中の張本に『WeChat』と呼ばれる中国版メッセージアプリで必ずこう声をかけるという。

「宿題はちゃんとやってるの?」

 中国の卓球関係者やメディアが日本の14歳に心の底から脅威を感じるのは、国籍や強化システムとは関係のない、親子の強い結びつきかもしれない。

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