東レPPO出場権「アメリカンドリームのよう」 毎日テニス選手権

西野栄・トーナメントディレクターに聞く

 テニスの「日本最高峰」と「日本最古」がタッグを組む。女子テニスの国際大会「東レ・パンパシフィック・オープンテニストーナメント」(東レPPO)=10月19~27日、東京・有明コロシアムなど=の予選ワイルドカード(主催者推薦出場権)が今年、第102回毎日テニス選手権(毎トー、毎日新聞社主催)の一般女子の部シングルスの優勝者に付与される。毎トー優勝経験者で、東レPPOのトーナメントディレクターを務める西野栄(にしの・えい)さん(56)に、コラボレーションの意義などを聞いた。【聞き手・中山敦貴】

 ――毎トー一般女子の部の大会名は「Road to 東レPPOテニス 毎日テニス選手権女子オープン」。東レPPOに出場できる新たな道が生まれました。

 ◆「アメリカンドリーム」のような、非常に良いチャンスだと思います。本来はジュニア時代から一つずつステップを踏まないと、なかなか国際舞台には手が届きません。でも、成長のタイミングは人それぞれで、ジュニア時代にチャンピオンになれなかったとしても、高校、大学から実力が急上昇することだってあります。

 (ランキングに関係なく出場できる)フリーエントリー制である毎トーの優勝者にワイルドカードが与えられることで、これまでトップレベルではなくても、今、実力があれば、最高峰の舞台を目指して駆け上がれる。それは、多くの選手に夢と希望を与えるのではないでしょうか。また、コラボによって毎トー出場選手の皆さんにもぜひ、東レPPOの試合を見に来ていただきたいと思います。

「この世界で生きていく」優勝で決心

 ――西野さんはプロ1年目の1987年、19歳で毎トーに初挑戦、初優勝しました。

 ◆「自分がやってきたことは間違いではなかった」と確信が持てた瞬間でした。米国にテニス留学していた17、18歳の時はケガなどに苦しみ、一時期は「テニスをやめたい」とまで思い悩んでいました。不安を残したままプロに進みましたが、毎トーで優勝できたことで「この世界で生きていく」と決心ができました。

 ――日本の女子テニス界の草分け的存在で日本女子テニス連盟名誉会長の母・飯田藍さんも優勝しており、親子2代で優勝したのは2人だけです。

 ◆母が毎トーでプレーする様子を子どものころから見てきました。憧れの舞台で自分もプレーできたことは格別の喜びです。

 ――毎トー優勝後は4大大会など国際舞台で活躍。東レPPOにも毎年のように出場しました。

 ◆東レPPOは、間違いなく女子テニス界における日本最高峰で、誰もが「ここで活躍したい」と憧れる舞台。私は1995年に現役を引退する前年まで、10年連続でダブルス本戦に出場し、シュテフィ・グラフさん(ドイツ)ら、世界のトッププレーヤーと対戦しました。中でも、ロビン・ホワイトさん(米国)との対戦は忘れられません。「魔術師じゃないの」と思うほど動きが速く、打ったボールが全て吸い込まれていくように感じました。

 東レPPOは、世界のレベルの高さを日本に見せつけ、プレーヤーはもちろん、指導者を含む日本テニス界全体の意識を変えたと言っても過言ではありません。日本選手は当初、簡単に負けていましたが、だんだん戦えるようになり、伊達公子さんが95年に優勝するに至った歴史を振り返ると、感慨深いですね。

 ――どのような大会を目指しますか。

 ◆「テニスにもう一度出会える場」にしたいですね。テニスをやったことがない人にも「やってみよう」と思ってもらえるきっかけを作るために、気軽にテニスに触れ、実際に体験できるような仕掛けも検討します。

 家族連れもカップルも仕事帰りのサラリーマンも、楽しんでリフレッシュでき「明日も来ちゃおう」と思える大会が理想です。ワクワクする空間作りに向け工夫していきます。乳がんの早期発見に向けたマンモグラフィー搭載バスによる出張検診などは今年も継続しますし、観客のための託児スペースも設ける予定です。

 ――今大会の見どころは。

 ◆まず世界トップレベルのテニスプレーヤーの卓越した技を間近で見ることができる大会は、国内では東レPPOをおいてほかにありません。伊達さんが95年の決勝でリンゼイ・ダベンポートさん(米国)を破ったように、体格差のある外国選手が相手でも、日本人独自の戦い方で攻略する様子が見られれば、面白いですね。また大坂なおみ選手を含め、出産を経て復帰する選手も増えており、ママさんプレーヤーが強さを見せてくれることも期待します。若手の選手には、この大会を世界に羽ばたくための足がかりにしてほしいです。

にしの・えい

 1967年生まれ。NPO法人SGE理事長、シンズテニス取締役。母・飯田藍さん(日本女子テニス連盟名誉会長)の手ほどきを受け、3歳でテニスを始め、米国留学を経て19歳でプロに転向。約10年間、世界各国のツアーを転戦し、4大大会でも活躍した。引退後はナショナルチームのジュニア選手のコーチも務めるなど、ジュニア世代の指導・育成に尽力している。

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